古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 江戸六地蔵

古今御朱印研究室

江戸六地蔵

新6番
東叡山 浄名院
とうえいざん じょうみょういん

造立年代 明治39年(1906)
東叡山 浄名院 (とうえいざん じょうみょういん)
本尊 阿弥陀如来
創建年代 寛文6年(1667)
開山 圭海大僧都
宗派 天台宗
所在地 東京都台東区上野桜木二丁目6−4 (地図表示:マピオン)
メモ 寛永寺と言問通りをはさんだ北側、浄名院境内に並ぶ石のお地蔵様の中に安置されている。
浄名院は寛文6年(1667)圭海大僧都により寛永寺三十六坊の一つとして開創された。当初は浄円院と称し、四代将軍徳川家綱の母・宝樹院の菩提所となった。
享保8年(1723)妙立大和尚の孫弟子・玄門大和尚を迎えて安楽律法流の律院となり、浄名律院と改称した。
安楽律法流とは、当時の僧侶の堕落に対し、妙立や弟子の霊空らが興した天台宗の戒律復興運動で、最澄以来の梵網戒とともに四分律を護持することを主張した。輪王寺宮公弁法親王の支持を受け、一山一所の制により、比叡山の安楽律院、日光山の興雲律院とともに東叡山では浄名律院が設けられたのである(天台宗の公式サイトを見ると、安楽律院と興雲律院は現在でも安楽律法流に所属しているが、浄名院は違うようである)。
明治12年(1879)浄名院第三十八世・地蔵比丘妙運和尚は衆生済度のため、八万四千体の石地蔵尊の建立を発願し、以来、地蔵信仰の寺として知られる。
さらに同39年(1906) 妙運和尚は江戸六地蔵の第六番・永代寺の地蔵尊が失われたことを惜しみ、また、日露戦争の戦没者の供養のため、新たに銅造の地蔵菩薩の造立を発願し、これを江戸六番地蔵の再興とした。
浄名院の地蔵尊を江戸六地蔵に含めるか否かは意見の分かれるところのようであるが、ここでは新六番として掲載しておく。
江戸六地蔵・浄名院の御朱印

中央の朱印は宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右は「江戸地蔵六番霊場」、左下は「東叡浄名」。

<<前へ 一覧へ 次へ>>


2009.10.07
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.