御府内とは江戸の町のこと。すなわち御府内八十八ヶ所とは、江戸に設けられた四国八十八ヶ所の写し霊場である。その開創は宝暦年間(1751〜64)の初めと推測されている(一説には宝暦5年という)。
ただし、御府内とはいっても、江戸の範囲とされる朱引内ばかりでなく、石神井の三宝寺、谷原の長命寺、新井の梅照院、中野の宝仙寺など朱引外の寺院も含まれていた。
江戸時代、一般庶民の四国遍路が盛んになったが、それでも江戸から遠い四国へ向かうのは大変であった。弘法大師を慕う江戸の人々が、江戸とその近郊に設定し、巡拝したのが御府内八十八ヶ所である。
江戸時代には盛んに巡拝されたようで、十返舎一九の『金草鞋』シリーズにも「東都大師巡八十八箇所」がある。幕末・維新の混乱で衰微したが、明治の中頃から復興したようだ。
明治初めの神仏分離をはじめ、関東大震災、第二次大戦の戦災などで、多くの札所が廃絶、合併のために札所が移されたり、寺自体が郊外に移転したりしている。また、ビルに建て替えられた寺院も少なくない。それでも、東京の真ん中に昔ながらの風情を残した寺院もあり、中には音羽の護国寺のように元禄時代の伽藍が残っているところもある。
札所があるのも、谷中や浅草、三田、四谷といった旧寺町から、都心の高級住宅地、下町、さらに戦後開発が進んだ地域などバラエティに富んでいる。まわってみれば、今まで知らなかった東京のいろいろな顔を見ることができる。
中には神奈川県秦野市に移転した仏乗院のように一日がかりで行かなければならないようなところもあるが、谷中・浅草・三田・四谷などのように札所が集中しているところもある。ほとんどの寺院が交通の便のよいところにあり、手軽に巡拝できるのも魅力である。
なお、各寺院の紹介で、「八十八ヶ所大意」としてある項目は、文化13年(1816)に49番の多宝院が中心となって開版した案内書『御府内八十八ヶ所大意』による当時の札所の情報である(参考:『御府内八十八ヶ所・弘法大師二十一ヶ寺版木』台東区教育委員会)。