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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第4番
永峯山 高福院
ながみねさん こうふくいん

高福院本堂
本 堂

永峯山 瑠璃光寺 高福院 (ながみねさん るりこうじ こうふくいん)
本尊 大日如来
創建年代 平安時代
開基 不詳
宗派 高野山真言宗
所在地 東京都品川区上大崎二丁目13−3 (Maion/googlemap
御詠歌 眺むれば月白妙の夜半なれや ただ黒谷に墨染の袖
メモ 目黒通り沿い、誕生八幡神社の脇に高福院の参道がある。ちょうど、目黒駅と東京都庭園美術館の中間で、江戸時代には目黒行人坂上の高福院として知られていた。
誕生八幡神社は太田道潅が夫人の安産祈願のために筑前(福岡県)の宇美八幡宮を勧請したもの。江戸時代、高福院はこの社の別当であった。
もともと高福院は高野山の山内子院で、行人方に属し、高野七弁天の一・舟引弁天(綱引弁天)を祀っていた。慶安元年(1648)この地に讃岐高松藩下屋敷が建てられた際、弘法大師ゆかりの寺院を建立することを望んだ藩主・松平頼重が高野山に要請し、良尊和尚によって移された(ただし、高野山の高福院も明治の頃までは残っていたようである)。
現在のご本尊は大日如来になっているが、江戸時代の資料を見ると随求明王になっている。
本堂は、天保の改革で知られる水野忠邦から寄進されたものとのことである。
写寺 黒巌山 大日寺
八十八ヶ所大意 永峯山 瑠璃光寺 高福院 目黒行人坂
〈本尊〉随求明王
〈開山〉尊良法印
高野山無量寿院末
参道 六地蔵
参道 六地蔵
高福院の納経印

中央の墨書は「本尊 大日如来」、右脇に「弘法大師」。中央の朱印は金剛界大日如来の種字「バン」、右上は「第四番」、左下は「永峯山瑠璃光寺高福院」。

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2009.04.26
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