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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第21番
宝珠山 東福院
ほうじゅざん とうふくいん

東福院
前 景

宝珠山 遍照殿 東福院 (ほうじゅざん へんじょうでん とうふくいん)
本尊 大日如来
創建年代 天正3年(1575)
開基 祐賢法印
宗派 新義真言宗
所在地 東京都新宿区若葉二丁目2−6 (Mapion/googlemap
御詠歌 太龍の常に住むぞや げに岩屋 舎心聞持は守護のためなり
公式サイト http://www.toufukuin.jp/
メモ かつての四ッ谷南寺町、新宿通から東福院坂を下る途中にある。もちろん、坂の名前は当寺に由来するが、このあたりが牛頭天王社(現在の須賀神社)に因んで天王横町と呼ばれていたことから、別名・天王坂ともいったそうだ。向かいには18番札所の愛染院がある。
寺伝によれば、天正3年(1575)大澤孫右衛門尉が檀越となり、祐賢法印が麹町九丁目に創建した。その後、寺地が江戸城外郭に含まれることになったため、寛永11年(1634)現在地に移転した(慶長11年の創建とする資料が多いが、東福院の公式サイトに従う)。
『御府内八十八ヶ所大意』には本尊・弁才天とある。この弁才天は弘法大師の作と伝えられ、「出世弁天」として江戸百弁天に数えられていたという。
また、境内に祀られている豆腐地蔵は、大澤孫右衛門尉の曾孫が建立したものと伝えられるが、次のような伝説が残っている。
四谷天王横町に心根の悪い豆腐屋がいた。大変欲深く、高利貸しなども営んでいた。この豆腐屋のところに、毎晩、一人のお坊さんが豆腐を買いにきた。ところが、翌日になると代金がシキミの葉になっていた。怒った豆腐屋は狐か狸の仕業であろうと思い、豆腐を買いにきたお坊さんの手首を庖丁で切ってしまった。
翌朝、豆腐屋が血の跡をたどると、東福院の地蔵堂まで続いており、お地蔵様の手首が切れていた。驚いた豆腐屋は改心し、地蔵尊を信仰して真面目に働くようになったという。
以来、このお地蔵様は豆腐地蔵と呼ばれるようになり、切り落とされた手首をさすると傷・腫れ物が治るとして江戸の人々の信仰を集めたということである。
写寺 舎心山 太龍寺
八十八ヶ所大意 阿祥山 宝寿寺 東福院 四ッ谷南寺町
〈本尊〉弁才天 大師御作
大塚護持院末
御府内八十八ヶ所の標石 観世音菩薩像
豆腐地蔵 観世音菩薩像
東福院の納経印

中央の墨書は「本尊 薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は薬師如来の種字「ベイ」、右上は「第19番」、左下は「瑠璃山青蓮寺清光院」。

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2009.08.05
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