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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第31番
照臨山 多聞院
しょうりんざん たもんいん

多聞院本堂
本 堂

照臨山 吉祥寺 多聞院 (しょうりんざん きちじょうじ たもんいん)
本尊 大日如来
創建年代 天正年間(1573〜92)
開山 覚祐上人
宗派 真言宗豊山派
所在地 東京都新宿区弁天町100 (Mapion/googlemap
御詠歌 南無文殊三世の諸仏の母と聞く われも子なれば乳こそほしけれ
メモ 寺伝によれば、天正年間(1573〜92)平河口に創建されたが、慶長12年(1607)江戸城の造営のため、牛込御門外に移ったという。さらに寛永12年(1636)境内がお堀用地となったため、現在地に替地を拝領して移転した。
墓地に御府内八十八ヶ所を開いたという正等大阿闍梨の百五十年供養塔がある。また、その隣にある石柱は、御府内八十八ヶ所開創百五十年の供養塔である(なお、御府内八十八ヶ所の開基については下総国松戸宿の諦信の名も伝えられている)。
その他、大正時代に一世を風靡した新劇女優・松井須磨子や江戸時代・当道座の総検校となった吉川湊一の墓などがある。
なお、当時の山号については、「照林山」とする資料と「照臨山」とする資料がある(音は同じ「しょうりんざん」)。『御府内八十八ヶ所大意』が「照林山」としているためか、御府内八十八ヶ所関係では「照林山」としている資料が多いようだが、それ以外の資料(例えば墓地の案内など)では「照臨山」とあり、納経印も「照臨山」とあるので、ここでは「照臨山」を使っておく。
写寺 五台山 竹林寺
八十八ヶ所大意 照林山 吉祥寺 多聞院 牛込七軒寺町
〈本尊〉毘沙門 智証大師御作
〈開山〉覚祐上人
足立郡西新井惣持寺末
正等阿闍梨百五十年供養塔 吉川湊一の墓
正等阿闍梨百五十年供養塔 吉川湊一の墓
多聞院の納経印

中央の墨書は「本尊大日如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は大日如来の種字「バン」、右上は「第三十一番」、左下は「照臨山多聞院之印」。

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2009.10.14
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