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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第38番
神霊山 金乗院
しんれいざん こんじょういん

金乗院本堂

神霊山 慈眼寺 金乗院 (しんれいざん じげんじ こんじょういん)
本尊 聖観世音菩薩
創建年代 不詳
開山 永順法印
宗派 真言宗豊山派
所在地 東京都豊島区高田二丁目12−3 (Mapion/googlemap
御詠歌 ふだらくやここは岬の船の竿 とるも捨つるも法のさだ山
巡拝 昭和新撰江戸三十三観音
メモ 創建年代は不詳だが、永順法印が観音堂を建立し、聖観世音菩薩を安置したことに始まるという。永順法印は文禄3年に示寂しているので、それ以前の創建ということになろう。
戦後、戦災で廃寺となった54番東豊山新長谷寺(目白不動)を合併したので、御府内で唯一、一寺二札所となっている。
山門をくぐると、すぐ右手の高台に目白不動を祀る不動堂がある。
本堂の前には「倶梨伽羅不動庚申塔」がある。普通、庚申塔には青面金剛や「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られていることが多いのだが、これは不動明王の持つ倶梨伽羅剣(剣に龍が巻き付いている)と三猿が刻まれているという珍しい者である。
また、墓地には青柳文蔵と丸橋忠弥の墓がある。
青柳文蔵は現在の宮城県に生まれた江戸時代後期の医者で、仙台藩に書籍と百両を送り、これを元に仙台藩が公開図書館を開いたことから、日本の公開図書館の祖とされている。
丸橋忠弥は宝蔵院流の槍の使い手で、慶安の変(由井正雪の乱)に荷担し、鈴ヶ森で処刑された。一説には長宗我部盛親の庶子とも言われている。
写寺 蹉跎山 金剛福寺
八十八ヶ所大意 神霊山 金乗院 高田姿見橋
〈本尊〉千手観音
〈開山〉永順法印
中野村宝仙寺末
山門 修行大師
山門 修行大師
鐔塚 倶梨伽羅不動庚申塔
鐔塚 倶梨伽羅不動庚申塔
青柳文蔵の墓 丸橋忠弥の墓
青柳文蔵の墓 丸橋忠弥の墓
金乗院の納経印

中央の墨書は「神霊山」「聖観世音菩薩」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は聖観音の種字「サ」、右上は「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」、左下は「神霊山金乗院」。

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2009.12.09
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