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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第54番
東豊山 新長谷寺
とうぶざん しんはせでら
(目白不動)

新長谷寺(目白不動)

東豊山 浄瀧院 新長谷寺 (とうぶざん じょうりゅういん しんはせでら)
本尊 不動明王(目白不動)
通称 目白不動
創建年代 不詳/元和4年(1618)中興
開山 不詳/秀算僧正中興
宗派 真言宗豊山派
所在地 東京都豊島区高田二丁目12−3 (Mapion/googlemap
御詠歌 くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
メモ 元は独立した寺院であったが、現在は36番金乗院の境内に移され、御府内霊場唯一の一ヶ寺二札所となっている。
本尊の不動明王は目白不動と称され、江戸時代は目黒不動尊薬研堀不動尊とともに江戸三大不動に数えられ、その筆頭とされた。因みに目白の名は、徳川家光が目黒に対して目白と称するように命じたことによると伝えられる。
伝承によれば、この不動尊は弘法大師が出羽国湯殿山で刻んだものという。後に廻国行者がこれを奉じて各地を巡り、関口(文京区)の地で霊感を受け、土地の人たちと協力して一宇を建立し、安置したことに始まるとされる。
元和4年(1618)二代将軍・徳川秀忠が伽藍を建立し、大和の長谷寺のご本尊と同じ木から彫られた十一面観世音菩薩を祀ったことにより、東豊山新長谷寺と称するようになった。
神田川のせせらぎが聞こえる境内は風光明媚なことでも知られ、江戸の市民の行楽地として茶店なども多かったが、幕末の頃から衰退したという。明治18年(1885)釈雲照律師が住職となり、寺運も興隆したが、その没後は再び衰亡した。昭和20年(1945)先の大戦の空襲で被災し、再興の気運も盛り上がらなかったため、同26年(1951)金乗院に合併された。
写寺 近見山 延命寺
八十八ヶ所大意 東豊山 浄瀧院 新長谷寺 目白不動
〈本尊〉不動尊 大師御作
〈開山〉秀算僧正
和州初瀬小池坊末
不動堂 地蔵尊
不動堂 地蔵尊
目白不動の納経印

中央の墨書は「新長谷寺 目白不動明王」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は不動明王の種字「カンマン」、 右上は「弘法大師御府内霊場第三十六・五十四番」、左下は「目白不動尊別当」。

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2010.04.07
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