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古今御朱印研究室

江戸時代の納経帳

天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳

79番 崇徳天皇社
(白峰宮)
金華山 摩尼珠院
(天皇寺)

摩尼珠院の納経印→讃岐国分寺へ

崇徳天皇社
金華山 妙成就寺 摩尼珠院

【略縁起】
霊場としての淵源は日本武尊の子・讃留霊王が悪魚の毒から蘇生したという伝承を持つ八十場の霊泉である。
摩尼珠院は弘法大師の創建と伝えられる。大師が当地を巡錫した折、八十場の泉で感応を受け、霊木で十一面観音と阿弥陀如来・愛染明王の像を刻み、一宇を建立して安置したことに始まるという。また、石の薬師如来像を刻み、金山にある水源に安置したという。
保元の乱に破れて讃岐に配流された崇徳上皇が崩御すると、都からの指示を待つ間、御尊体を八十場の泉に浸して保存した。その間、付近の霊木に神光があったため、二条天皇の宣旨により崇徳上皇を祀る廟が建立され、摩尼珠院が別当となった。高倉天皇より讃岐国の租稲1,000束を寄進され、後嵯峨天皇が社殿を造営するなど、朝廷・武門より篤い庇護を受けた。また、摩尼珠院は天皇ゆかりの寺ということで、「天皇寺」の通称で呼ばれるようになった。
明治になり、崇徳天皇社は白峰宮と改称し、摩尼珠院は廃寺とされる。札所は林田村にあった筆頭末寺の高照院が継承した。明治20年(1887)には摩尼珠院の跡地に移転し、金華山天皇寺の法灯を再興している。

【納経印】
文字の部分は印判で「奉納経 本尊十一面観世音 崇徳天皇御鎮座 讃岐國金花山 摩尼珠院 行者丈」。中央上の宝院は十六八重菊の御紋。右上の印は「四國七拾九番」、左下は「摩尼珠院」。

【現在の名称】
白峰宮
金華山 高照院 天皇寺(摩尼珠院は廃寺となり、筆頭末寺の高照院が法灯を継承)

【所在地】
讃岐国阿野郡西庄村(香川県坂出市西庄町)

【本社御祭神】
崇徳天皇

【御本尊】
十一面観音

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2013.10.06
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