古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 昔の納経帳 > 天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳

古今御朱印研究室

江戸時代の納経帳

天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳

1番 竺和山 靈山寺

霊山寺の納経印→極楽寺へ

竺和山 一乗院 霊山寺

【略縁起】
天平年間(729〜749)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創されたと伝えられる。弘仁6年(815)弘法大師巡錫の折、霊鷲山で説法される釈迦如来の姿を感得し、天竺の霊山を日本(和)に移すという意味から竺和山霊山寺と名付けられたという。
四国八十八ヶ所の一番札所である。八十八ヶ所の順番が確定したのは真念の『四国遍路道指南』によるとされるが、承応2年(1653)に四国を巡った澄禅の『四国遍路日記』を見れば、すでに大師が霊山寺から廻ったという観念が成立していたことがわかる。

【納経印】
墨書は「奉納経 本尊釈迦如来 アハ霊山寺」、日付は子十月廿二日と思われる。中央の宝印は十六八重菊に卍。右上の印は「四国第一番」。左下は「弌乗院」で現代までずっと使われている。

【所在地】
阿波国板野郡板東村(徳島県鳴門市大麻町板東)

【本尊】
釈迦如来

<<前へ もどる 次へ>>


2013.12.12
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.