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古今御朱印研究室

江戸時代の納経帳

天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳

13番 一宮大明神 ・ 大栗山 大日寺

一宮大明神・大日寺の納経→常楽寺へ

一宮大明神
大栗山 花蔵院 大日寺

【略縁起】
一宮神社は式内名神大社・天石門別八倉比売神社の論社。一般に阿波国一宮は大麻比古神社とされているが、本来の一宮は名西郡神領村(神山町神領)の上一宮大粟神社だと考えられている。参拝に不便なことから国府近くに勧請され、下一宮と称された。四国八十八ヶ所には各国の一宮が札所として組み入れられている。当社も阿波国一宮として札所になったのであろう。
大日寺は一宮大明神の別当で、開基は弘法大師。寺伝によれば、弘仁6年(815)弘法大師が当地を巡錫した際、鮎喰川の対岸にある「大師ヶ森」で護摩を修していると、紫雲がたなびいて大日如来が姿を現した。大師がその尊像を刻み、本尊として一寺を創建したことに始まると伝えられる。
もともと一宮大明神が札所で、大日寺で納経を行っていたが、文政の頃、一宮大明神の神主であった笠原丹後も納経を行うようになった(文政8年『神社仏閣順拝帳』参照)。その後、大日寺と笠原神主の間で調整が行われたようで、天保の頃からこの納経帳のように両者が署名する形式となった。署名は神主笠原丹後、別当大日寺の順で、大日寺が先に書いた場合は大日寺の印(「大栗山花蔵院」)を、笠原神主が先に書いた場合は笠原神主の印(「笠原之章」)が押されている。
明治の神仏分離によって大日寺が札所となり、納経も大日寺の署名のみとなった。一宮大明神の本地仏であった十一面観音(行基菩薩の作と伝えられる)は大日寺に遷されて本尊となり、元の本尊であった大日如来は脇侍とされた。

【納経】
墨書は「奉納経 一宮大明神 神主笠原丹後 別当大日寺」、子十月廿五日」。中央の印は十六八重菊の御紋。右上は「四国十三番」、左下は「大栗山 花蔵院」。

【現在の名称】
一宮神社
大栗山 花蔵院 大日寺

【所在地】
阿波国名東郡一宮村(徳島県徳島市一宮町西丁)

【本社御祭神】
天石門別八倉比売命・大宜都比女神
【本地仏】
十一面観世音菩薩

【別当寺本尊】
大日如来

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2016.01.11
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