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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

第37番
藤井山 岩本寺
〔ふじいざん いわもとじ〕

岩本寺本堂
本 堂

藤井山 五智院 岩本寺 (ふじいざん ごちいん いわもとじ)
本尊 阿弥陀如来
聖観世音菩薩
不動明王
薬師如来
地蔵菩薩
創建年代 天平年間(729〜49)
開基 行基菩薩
宗派 真言宗智山派
所在地 高知県高岡郡四万十町茂串町3−13 (地図表示:マピオン)
御詠歌 六つのちり五つの社あらわして ふかき仁井田の神のたのしみ
メモ 37番札所も複雑な経緯をたどっている。御詠歌にもあるとおり、本来の札所は仁井田五社〔にいだごしゃ〕(仁井田大明神・高岡神社)であった。仁井田大明神は伊予国の越智守興〔おちのもりおき〕の子・玉澄〔たますみ〕が高岡郡仁井田郷に移り住み、祖神を祀ったことに始まるという。
天平年間(729〜49)行基菩薩は聖武天皇の勅願により、神宮寺として福円満寺を建立した。さらに『仁王経』の「七難即滅、七福即生」を祈願し、天の七星を象って宝福寺・長福寺など六つの寺を建立し、合わせて七福寺と称した。
後、弘法大師が仁井田大明神の六柱の御祭神を五つの社に分けて五社大明神と称した。さらに五つの寺を建立して、先の七ヶ寺と合わせて仁井田十二福寺と総称し、星供の秘法を修した。嵯峨天皇の勅願寺となり、神仏習合の霊場として栄えたという。
ところが、享禄から天文の頃(1528〜55)火災で福円満寺が廃寺となったため、当時、金剛福寺の住職であった尊海法親王が窪川に岩本坊を建立し、法灯を継がせた。しかし、これも天正年間(1573〜92)に焼失し、僧釈長が再興して岩本寺と改称した。以来、岩本寺が仁井田五社の別当となり、巡拝者は仁井田五社に札を納めた後、岩本寺で納経を行った。なお、当時、五体の本尊は仁井田五社に祀られており、岩本寺の本尊は阿弥陀如来だったようだ。
明治の神仏分離で廃寺とされ、明治22年(1889)に再興された。その間、伊予八幡浜の大黒屋吉蔵が岩本寺(仁井田五社)の本尊と納経印を買い取り、明治18年(1885)八幡浜に大黒山吉蔵寺を創建して、37番札所とした。大正7年(1918)四国を巡拝した高群逸枝の『娘巡礼記』によれば、八幡浜に上陸した後、すぐに吉蔵寺に参拝しており、37番札所の本尊と納経の版が伝わっていることを記している。当時は札所が2ヶ所並立していたと考えられる。いつ頃、本尊などが返還され、札所が一本化されたのかなどは不詳である。
岩本寺には大師の七不思議が伝わる。すなわち子安桜、戸建てずの庄屋、筆草、尻なし貝、三度栗、口なし蛭、桜貝である。なお、奥の院とされる矢負いの地蔵は大師堂に祀られている。
山門 大師堂と聖天堂
山門 大師堂と聖天堂
御朱印 左が平成元年、右が平成19年に拝受したもの。中央の墨書は「五仏宝殿」、左は「岩本寺」。中央の朱印は5つの梵字で、不動明王の種字「カーン」、阿弥陀如来の種字「キリーク」、聖観音の種字「サ」、薬師如来の種字「ベイ」、地蔵菩薩の種字「カ」。左下の朱印は「五智院岩本寺」。
平成元年の納経印 平成19年の納経印

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2007.07.01
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