古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 四国八十八ヶ所 > 修行の道場
![]()
![]()

本 堂
| 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 (さださん ふだらくいん こんごうふくじ) | |
|---|---|
| 本尊 | 三面千手観世音菩薩 |
| 創建年代 | 弘仁13年(822) |
| 開基 | 弘法大師 |
| 宗派 | 真言宗豊山派 |
| 所在地 | 高知県土佐清水市足摺岬214−1 (地図表示:マピオン) |
| 御詠歌 | 補陀洛や ここはみさきの舟のさお とるもすつるも法の蹉跎山 |
| 文化財 | 〈県有形文化財〉紙本著色高野大師行状図画 木造愛染明王坐像 木造千手観音立像及び両脇侍立像 木造二十八部衆立像 木造風神・雷神像 |
| メモ | 四国の最南端・足摺岬にあり、足摺山〔あしずりざん〕と称される。山号の蹉跎は、つまづくとか時機を失うという意味だが、足摺と同義として使われているようだ。金峯上人が住職であったとき、常に天魔が修行の邪魔をした。上人がこれらを呪伏すると、天魔たちは嘆き悲しんで蹉跎、すなわち足摺りした。そこで山号を月輪山から蹉跎山に改めたという。 37番岩本寺からの距離が四国八十八ヶ所中もっとも長いことでも知られる。 寺伝によれば、弘仁13年(822)弘法大師の開創。嵯峨天皇の勅願を受け、「補陀洛東門」の勅額を賜ったという。 補陀洛〔ふだらく〕とは観世音菩薩の住まう南海の補陀落山(ポータラカ山)のことである。足摺岬は補陀落山への入口として観念され、古くより補陀洛渡海〔ふだらくとかい〕の行者の名前が伝えられている。 平安時代には摂関家の庇護を受けていた。和泉式部が参詣して黒髪を納めたり、多田満仲による多宝塔の建立、源頼光による堂塔の修理なども伝えられる。鎌倉時代には一条家の所領となり、深く尊崇された。 室町時代には仁和寺〔にんなじ〕の尊海法親王が住職になったこともある。一条氏が土佐中村に下向すると最盛期を迎え、寺領は3千石に及び、土佐最大の規模を誇った。山内氏が土佐を領するようになると、寺領は100石に抑えられ、一時は荒廃したが、二代藩主・忠義が堂宇を修復再興した。明治の廃仏で衰退したが、豊山派に移り、現在に至る。 広大な境内には諸堂が並び、見事な庭園も整備されている。また、この寺にも大師ゆかりの七不思議が伝わるが、実際には七つ以上ある。すなわち天灯の松、龍灯の松、ゆるぎ石、潮の干満の手洗石、一夜建立の鳥居、亀よび場、地獄の穴、天狗の鼻、千万滝、うまめ樫、くわずの芋、亀の石、龍の駒などである。 金剛福寺の奥の院は白皇山〔はくおうざん〕の白皇大権現〔はくおうだいごんげん〕であった。神仏習合により、かつての白皇山の遙拝所に移され、同じく金剛福寺の鎮守であった白山権現と合祀して白山神社(白皇神社)となっている。 |
![]() |
![]() |
| 大師堂 | 庭園と愛染堂 |
| 御朱印 | 左が平成元年、右が平成19年に拝受したもの。中央の墨書は「千手尊」、左下は「足摺山」。中央の朱印は波に千手観音の種字「キリーク」、左下は瓢箪に「足摺山 金剛福寺」。 |
![]() |
![]() |
2007.07.01
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2010 Murakami Tetsuki. All rights reserved.