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本 堂
| 源光山 円手院 明石寺 (げんこうざん えんしゅいん めいせきじ) | |
|---|---|
| 本尊 | 千手観世音菩薩 |
| 通称 | 明石寺(あげいしじ) |
| 創建年代 | 伝・欽明天皇の御代(539〜571)? |
| 開基 | 円手院正澄 |
| 宗派 | 天台寺門宗 |
| 所在地 | 愛媛県西予市宇和町明石104 (地図表示:マピオン) |
| 御詠歌 | 聞くならく千手の誓いの不思議には 大盤石もかろくあげ石 |
| 文化財 | 〈県有形文化財〉絹本著色熊野曼荼羅図 |
| メモ | 四国霊場の本関所といわれる。 御詠歌にもあるように、本来は「あげいし」と読んだようである。伝承によれば、その昔、宇和の平野は湖であった。深夜、美しい女神(千手観音の化身ともいう)が大石を戴いて運んでいると夜明けになってしまったため、山の麓に石を置いて姿を消したという。この伝承から「あげいし」の名がつき、御詠歌の由来ともなっている。また、この女神は白王権現として祀られ、明石寺の奥の院となっている(納経はないようである)。 欽明天皇の勅願により、円手院正澄が千手観音を安置して七堂伽藍を建立したことに始まるとされる。天平6年(734)役行者小角から5代目の寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、十二坊を建立したという。弘仁13年(822)弘法大師が嵯峨天皇の勅願により再興し、金紙金泥の法華経を納経した。 建久5年(1194)には源頼朝が命の恩人である池禅尼(平清盛の継母で、平治の乱の後、清盛に頼朝の助命を嘆願した)の菩提を弔うために経怩築き、堂宇を再興した。この時、山号を現光山から源光山に改めたという。中世以降も西園寺氏、伊達氏の祈願所として帰依を受けた。 |
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| 山門 | 大師堂 |
| 御朱印 | 左が平成元年、右が平成19年に拝受したもの。中央の墨書は千手観音の種字「キリーク」に「千手観音」。中央の朱印は同じく宝珠に梵字「キリーク」、左下は「?」。 |
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2007.07.22
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