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本 堂
| 別宮山 金剛院 南光坊 (べっくざん こんごういん なんこうぼう) | |
|---|---|
| 本尊 | 大通智勝仏 |
| 創建年代 | 大宝3年(703) |
| 開基 | 越智玉純 |
| 宗派 | 真言宗醍醐派 |
| 所在地 | 愛媛県今治市別宮町三丁目1 (地図表示:マピオン) |
| 御詠歌 | このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とてもおなじ垂迹 |
| メモ | 今治市の沖合にある大三島に鎮座する日本総鎮守・伊予国一宮・大山祇神社の法楽所として建立された24坊の一つである。寺伝によれば大宝3年(703)の創建とされる。 別宮大山祇神社の社伝によれば、和銅5年(712)越智玉澄が、大山祇神社への参拝の不便を解消するため、越智郡日吉村に三島地御前〔みしまちごぜん〕として御分霊を勧請し、別宮大山祇神社を創建したという。正治年間(1199〜1201)、大山祇神社の属坊24坊のうち南光坊など8坊を別宮に移し、大積山金剛院光明寺と称した。 天正年間(1573〜92)長宗我部の兵火により8坊はことごとく烏有に帰し、後に南光坊だけが再建された。明治の神仏分離により、本尊の大通智勝仏〔だいつうちしょうぶつ〕(大山積神〔おおやまつみのかみ〕の本地仏)や十六大王子が南光坊移され、寺院として独立して、55番札所となった。それまでは別宮大山祇神社(別宮)が札所であり、光明寺(南光坊)が納経を司っていた。第二次大戦の空襲により大師堂と金比羅堂を除いて焼失したが、戦後再建されている。 古くは大三島の大山祇神社が札所で、別当の神宮寺が納経を司っていたようである。江戸時代初めの澄禅や真念も本来は大三島に渡るべきところだが、前札所として別宮に参拝するとしている。しかし、御詠歌は明らかに別宮のものであり、大三島の本宮の御詠歌は伝わっていない。御詠歌が成立した時代には、すでに別宮が実質的な札所として定着していたのではなかろうか。 南光坊に奥之院とされるものはないが、大三島神宮寺の十六坊のうち、唯一残った東円坊が奥之院的な存在といえよう。 |
| 参考 | 南光坊の本尊は大通智勝仏である。大山積神の本地仏とされる。あまり聞かない名前であるが、『法華経』の化城喩品〔けじょうゆほん〕に登場する仏で、三千塵点劫の昔に出家し、八千劫の間、法華経を説いたとされる。この仏には出家前、十六人の王子がいたが、父の跡を追って出家した。その一人が釈迦如来であったとされる。如来形で理拳印〔りけんいん〕(金剛界大日如来と左右の手が逆の印)を組む。 山門には、別宮大山祇神社の鳥居と同じく「日本総鎮守 三島地御前」の扁額を掲げており、その由緒を忍ぶことができる。 |
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| 山門 | 大師堂 |
| 御朱印 | 左が平成元年、右が平成18年に拝受したもの。中央の文字は「大通智勝仏」。中央の朱印は宝珠に大通智勝仏の種字「バン」で、左下は「別宮山南光坊」。 |
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2007.09.02
更新:2009.06.04
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