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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

第60番
石鈇山 横峰寺
〔いしづちさん よこみねじ〕

横峰寺本堂
本 堂

石鈇山 福智院 横峰寺 (いしづちさん ふくちいん よこみねじ)
本尊 大日如来
創建年代 白雉2年(651)
開基 役行者神変大菩薩
宗派 真言宗御室派
所在地 愛媛県西条市小松町石鎚2253 (地図表示:マピオン)
御詠歌 たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救うものかな
文化財 〈県有形文化財〉木造大日如来坐像 金堂蔵王権現御正体
メモ 64番前神寺とともに石鎚山の旧別当寺院である。弘法大師が青年時代、石鎚山で修行されたことは、大師自筆の『聾瞽指帰』によって知られる。
昭和59年(1984)に林道ができるまでは、車で廻るお遍路さんにとって最大の難所であった(子どもの頃、家族と登ったことがある)。その後、太龍寺がもっとも長く歩く札所ということになっていたが、ロープウェイが開通したので、再び横峰寺が最も長く歩かなければならないということらしいが、もはや難所とはいうほどではないだろう。
役行者が星ヶ森で蔵王権現を感得し、シャクナゲの木に尊像を刻んで安置したことにはじまるという。
天平年間(729〜49)に行基菩薩が入山し、大日如来の尊像を刻んだ。大同年間(806〜09)弘法大師は星ヶ森で厄除けの星供の法を修し、堂宇を整えた。
江戸時代には64番札所の前神寺と石鎚山の別当を争ったこともある。それぞれ西条藩と小松藩が後ろ盾となり、幕府の寺社奉行に訴え出るまでになった。
明治の神仏分離によって、横峰寺は廃寺となり、石鎚神社の西遙拝所・横峰社とされた。そのため、60番札所は小松の清楽寺に移された。しかし、明治12年(1879)大峰寺として再興され、協議の上、札所は大峰寺に返納され、清楽寺は前札所とされた。さらに明治42年(1909)旧称に復した。
澄禅の四国遍路日記によれば、夏期の登山期間以外、石鎚山(前神寺)の納経は横峰寺で行っていたとある(澄禅の日記では、石鎚山=奥前神寺が本札所として扱われ、里前神寺は番外の扱いである)。また、澄禅も、その前に四国を廻った空性法親王も、横峰寺から石鎚山に向かっている。そういったことから考えると、本来は石鎚山の前札所的な役割を果たしていたのではないかとも思われる。
横峰寺の奥之院は星ヶ森であり、金の鳥居からは正面に石鎚山を望むことができる。また、清楽寺が前札所、妙雲寺が前札旧跡とされている。
大師堂 山門(仁王門)
大師堂 山門(仁王門)
御朱印 左が平成元年、右が平成18年に拝受したもの。中央の文字は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」。中央の朱印は同じく金剛界大日如来の種字である「バーンク」、左下は「四国霊場第六拾番横峰寺印」。
平成元年の納経印 平成18年の納経印

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2007.09.16
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