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大聖堂(本堂)
| 栴檀山 教王院 香園寺 (せんだんざん きょうおういん こうおんじ) | |
|---|---|
| 本尊 | 大日如来 |
| 創建年代 | 用明天皇の御代(585〜87) |
| 開基 | 聖徳太子 |
| 宗派 | 真言宗単立 |
| 所在地 | 愛媛県西条市小松町南川甲19 (地図表示:マピオン) |
| 御詠歌 | のちの世を思えば詣れ香園寺 止めて止まらぬ白瀧の水 |
| 公式サイト | http://www.koyasudaishi.or.jp/ |
| メモ | 安産と子育ての寺として知られ、地元ではもっぱら「子安大師」と呼ばれる。 境内に入ると鉄筋コンクリート二階建ての「褐色の大聖堂」が威容を現す。二階が本堂と大師堂を兼ねており、正面の本尊・大日如来を参拝した後、その脇に安置された子安大師(赤児を抱いた弘法大師)に詣る。固定倚子827席という堂々たる建物である。 聖徳太子ゆかりの古刹で、太子が用明天皇の病気平癒を願って創建されたと伝えられる。この時、金衣白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来を安置したという。天平年間(729〜49)行基菩薩も訪れたとされる。 大同年間(806〜10)弘法大師が当地を巡錫したとき、難産で苦しむ女性がいた。そこで大師は唐から持ち帰った黄金の大日如来像を本尊の胎内に納め、栴檀を焚いて護摩の修法を行ったところ、無事に健康な男の子を産んだ。この仏縁により栴檀山香園寺と称し、「安産・子育て・身代わり・女人成仏」の四誓願と秘法を残したという。 かつては今より北の地にあり、七堂伽藍を備えて6坊を擁したという。しかし、天正の兵火によって全山焼失、寺運は衰えた。大正年間のはじめ、当時の住職であった山岡瑞園師が子安講を創始し、子安大師の四誓願を掲げて行脚し、難産に苦しむ人々を救った。その足跡は国内のみならず、朝鮮・台湾・満州さらに米国にまで及ぶという。その結果、昭和23年(1948)山岡師が遷化するまでに講員は全国に20万人を数えるに至り、寺運興隆して現在に至る。 さて、案ずるに上記の縁起は、この時に唱えられるようになったものではないだろうか。というのは、例えば寂本の『四国徧礼霊場記』などを見ると、弘法大師が当地を巡錫したとき、園の中から栴檀の香がしたので栴檀山香園寺と号するようになった、それ以外に伝わる話はないとして、子安大師に関する内容は見えないからである。山岡師が寺を再興し、子安講を創始するに当たって、秘伝を公開するという形で創唱したのではないかと思うのである。 しかし、そうであったとしても批判するには当たらない。後世の事実が歴史を作る例は枚挙に暇がないし、そもそも今に伝わる縁起の多くはそういうものである。それが作られたのが古いか新しいかというだけの違いである。むしろ、大切なのは、その「新しい(と思われる)」秘伝を納得させるだけの構想力と法力、さらに実績を山岡師が持っていたということである(あくまで推測が正しければということであるが)。 香園寺の奥之院は、御詠歌にも詠われている白瀧である。 |
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| 大聖堂全景 | 大聖堂内部 |
| 御朱印 | 左が平成元年、右が平成18年に拝受したもの。中央の墨書は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」、右は「子安大師」。中央の朱印は三鈷杵に同じく梵字の「バン」、左下は「栴檀山教王院香園寺」。 |
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2007.09.23
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