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本 堂
| 七宝山 持宝院 本山寺 (しっぽうざん じほういん もとやまじ) | |
|---|---|
| 本尊 | 馬頭観世音菩薩 |
| 創建年代 | 大同2年(807) |
| 開基 | 弘法大師 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 所在地 | 香川県三豊市豊中町本山甲1445 (地図表示:マピオン) |
| 御詠歌 | 本山に誰が植えける花なれや 春こそ手折れ手向けにぞなる |
| 文化財 | 〈国宝〉本堂(附・厨子3基・棟木の部分1本) 〈重文〉二王門 〈県有形文化財〉鎮守堂 木造善女龍王像 木造愛染明王坐像 木造金剛力士立像 蔵経文版木 |
| メモ | 讃岐平野に端然と五重塔がそびえる。 創建当初は七宝山長福寺と称したという。大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が一夜にして建立したと伝えられる。木材は阿波の祖谷山より切り出して運んだが、本山の近くまで来たところで一本の柱を落とした。これに地蔵を彫ったのが「枯木地蔵」であるという。 馬頭観音を本尊とするのは四国八十八ヶ所の中でもここだけである。本尊および脇侍の阿弥陀如来・薬師如来は大師が一刀三礼して刻んだものと伝えられる。 本山寺は讃岐の寺では珍しく長宗我部の兵火にかかっていないので、国宝の本堂をはじめ、室町以前の建物や仏像が残っているが、これには「太刀受けの弥陀」と呼ばれる、脇侍の阿弥陀如来にまつわる霊験譚が残っている。 讃岐に兵を進めた長宗我部軍は、この寺に陣を構えようとした。住職は殺生禁断の地であるとして拒絶したが聞き入れられず、一刀のもとに切り捨てられた。ところが住職には傷一つなく、本堂の厨子が開いて阿弥陀如来の右の肘から血が流れていた。兵士たちは畏れて退却し、寺は戦火を免れたという。 本堂は正応年間(1288〜93)佐々木近江守氏信の寄進により心道上人が建立したと伝えられる。五重塔は創建時のものが大破したため、明治に再建されたもの。鎮守堂は江戸時代の建築と考えられていたが、昭和59〜60年(1984〜85)の解体修理により、天文16年(1547)の建立であることがわかった。 奥の院は七宝山妙音寺である。 |
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| 仁王門 | 大師堂 |
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| 五重塔 | 鎮守堂 |
| 御朱印 | 左が平成元年、右が平成18年に拝受したもの。中央の文字は、平成元年のものが「馬頭観音」、平成18年のものは馬頭観音の種字「ウン」に「馬頭観音」。中央の朱印は馬頭観音の種字「ウン」に脇侍・阿弥陀如来の種字「キリーク」と薬師如来の種字「ベイ」、左下は「香川縣三豊郡本山寺」。 |
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2007.10.21
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