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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

第79番
金華山 天皇寺
〔きんかざん てんのうじ〕

天皇寺本堂
本 堂

金華山 天皇寺 高照院 (きんかざん てんのうじ こうしょういん)
本尊 十一面観世音菩薩
創建年代 弘仁年間(810〜24)
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
所在地 香川県坂出市西庄町1713−2 (地図表示:マピオン)
御詠歌 十楽の浮き世の中をたずぬべし 天皇さえもさすらいぞある
文化財 〈県有形文化財〉木造阿弥陀如来坐像 絹本著色釈迦三尊二声聞図
メモ 崇徳天皇を祀る白峰宮の朱塗りの三輪鳥居をくぐると、参道の左側に天皇寺高照院の本堂と大師堂、右側に本坊(および納経所)がある。四国霊場の中でも複雑な経緯をたどった札所の一つである。江戸時代までは、崇徳天皇社(現在の白峰宮)と一体となった妙成就寺(金華山摩尼珠院と号した)が札所であった。
霊場としての淵源は、白峰宮の西50mほどのところにある「八十場〔やそば〕(弥蘇場・八十蘇場)の泉」である。景行天皇の御代、南海の悪魚退治を命じられた讃留霊王〔さるれいおう〕(日本武尊の子・武穀王〔たけかいこおう〕)が、八十八人の部下とともに悪魚の毒から蘇生したという伝説がある。
弘法大師が四国を巡錫したとき、この八十場の泉で感応を受け、霊木で十一面観音と阿弥陀如来・愛染明王を刻んで妙成就寺を建立するとともに、石に薬師如来像を刻み、金山の水源に安置したという(金山の薬師)。
保元の乱に破れ、讃岐に流された崇徳上皇は、ここからほど近い雲井御所〔くもいごしょ〕に滞在し、その後、国庁の木丸殿〔このまるでん〕に移られたが、しばしば当寺を訪れたという。
長寛2年(1164)8月、上皇が崩御されると、都からの指示が来るまでの約20日間、御尊体を八十場の水に浸して保存した(水上に安置したともいう)。その後、白峰山上で荼毘に付され、白峯寺に御陵が営まれたが、その間、付近の霊木に神光があった。そこで、二条天皇の宣旨により、その地に上皇を祀る廟を建立し、妙成就寺を別当とした。高倉天皇・土御門天皇・後嵯峨天皇など歴代天皇や源頼朝をはじめとする武将が深く尊崇し、社殿の造営や社領の寄進がたびたびであったという。
澄禅の『四国辺路日記』によれば、「弘法大師御定ノ札所」は金山の薬師だという(現在は奥の院・瑠璃光寺)。ところが中古以来、妙成就寺・崇徳天皇社が栄えて、大きな伽藍を誇っているため、事情を知らない遍路が崇徳天皇社を札所だと思うようになり、札所とされるようになったとする。その真偽はさておき、澄禅自身も崇徳天皇社を札所としているように、江戸時代には崇徳天皇社・妙成就寺(摩尼珠院)が札所であった。妙成就寺は天皇ゆかりの寺ということで、天皇寺と称されるようになった。
ところが明治の神仏分離により、崇徳天皇社は白峰宮となり、金華山天皇寺摩尼珠院は廃寺となった。そこで筆頭末寺の高照院が現在地に移転して金華山天皇寺を再興し、79番札所を引き継いだ。正式名称は現在でも高照院であるため、標識等には「天皇寺高照院」と表記している。
大師堂 八十場の泉
大師堂 八十場の泉
御朱印 左が平成元年、右が平成19年に拝受したもの。中央の文字は、平成元年のものが「十一面尊」、平成19年が十一面観音の種字「キャ」に「十一面観音?」、左の文字は「金華山」。中央の朱印は?、左下は「天皇寺」。
平成元年の納経印 平成19年の納経印

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2007.11.26
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