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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

第81番
綾松山 白峯寺
〔りょうしょうざん しろみねじ〕

白峰寺本堂
本 堂

綾松山 洞林院 白峯寺 (りょうしょうざん とうりんいん しろみねじ)
本尊 千手観世音菩薩
創建年代 弘仁6年(815)
開基 弘法大師・智証大師
宗派 真言宗御室派 別格本山
所在地 香川県坂出市青海町2635 (地図表示:マピオン)
御詠歌 霜さむく露白妙の寺のうち 御名をとなうる法のこえごえ
文化財 〈重文〉十三重塔 木造頓證寺勅額・後小松帝宸翰 〈県有形文化財〉笠塔婆 五重塔 阿弥陀堂 客殿 木造吉祥天立像 石灯籠
公式サイト http://www.shiromineji.com/
メモ 瀬戸内の景勝地・五色台の白峰の山腹にある。崇徳上皇の御陵・御廟所があり、上皇ゆかりの寺として知られる。西行法師が御陵を詣で、上皇の御霊と対話した話は謡曲ともなり、上田秋成の『雨月物語』などにも取り上げられた。
開基は弘法大師と伝わる。弘仁6年(815)当地を訪れた大師は、白峰に如意宝珠を埋め、閼伽井を掘ったという。
貞観2年(860)瀬戸内海の海上に流木が現れ、光を放ち、四方に芳香を漂わせた。当時、唐から帰朝して金倉寺に止住していた智証大師は、国司の要請を受け、光に導かれて白峰へ登った。すると白髪の老翁が現れて白峰の地主神であると名乗り、件の流木は補陀洛の香木であること、この地が仏法有縁の霊地であり、寺を建立して仏法興隆を計るべきことを告げた。そこで智証大師は流木を引き上げて千手観音を刻み、寺を建立した。
長寛2年(1164)讃岐に流されていた崇徳上皇が崩御すると、白峰の稚児嶽上で荼毘に付し、御陵が営まれた。
その後、都に怪異が続き、上皇の祟りとされたため、歴代天皇をはじめ、公卿・武将が深く崇敬して法楽を捧げ、寺領や宝物を寄進して慰霊の誠を尽くした。そのため最盛期は21坊を数えるほど興隆した。火災や兵火に遭うこともたびたびであったが、領主の生駒氏・松平氏によって再建された。
境内の頓証寺殿は崇徳上皇の御廟所である。建久2年(1191)遠江阿闍梨章実が上皇の行在所であった府中鼓ヶ岡の木丸殿を移し、上皇の自画像を祀ったことに始まる。随身門は、後小松天皇の御宸筆による勅額(重文)を掲げたことから勅額門と称される。御所を模して、拝殿の前には桜と橘が植えられている。奥殿は三棟からなり、中央に崇徳上皇、右に十一面観音、左に相模坊を祀る。
明治2年(1869)明治天皇の勅命により、崇徳上皇の御霊は京都の白峯神宮に遷され、頓証寺殿は廃された。建物はそのまま放置されていたが、同11年(1878)愛媛県令から内務部への請願により(当時、香川県は愛媛県の一部になっていた)、金刀比羅宮の境外摂社とされ、正殿に崇徳上皇、本地堂に待賢門院(崇徳上皇の生母)、相模坊堂に大山祇神が祀られることとなった。しかし同31年(1998)金刀比羅宮の境内に遷座することとなり、頓証寺殿は元の仏堂に復して現在に至る。なお、金刀比羅宮に遷された御霊は大正2年(1913)に新築された同宮の摂社・白峰神社に祀られている。
山門 大師堂
山門 大師堂
頓証寺殿(崇徳天皇御廟) 護摩堂
頓証寺殿(崇徳天皇御廟) 護摩堂
御朱印 左が平成元年、右が平成19年に拝受したもの。中央の文字は「千手尊」。中央の朱印は「盡十方」、左下は「白峯寺」。
平成元年の納経印 平成19年の納経印

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2007.12.02
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