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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

第88番
医王山 大窪寺
〔いおうざん おおくぼじ〕

大窪寺本堂と阿弥陀堂
本堂と阿弥陀堂

医王山 遍照光院 大窪寺 (いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)
本尊 薬師如来
創建年代 養老年間(717〜23)
開基 行基菩薩
宗派 真言宗大覚寺派
所在地 香川県さぬき市多和兼割98 (地図表示:マピオン)
御詠歌 南無薬師 諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺
文化財 〈県有形文化財〉木造薬師如来坐像 鉄錫杖
メモ 長かった四国遍路も結願である。
古くは現在のように霊山寺が一番、大窪寺が八十八番と決まっていたわけではなかったようだ。寂本の『四国徧礼霊場記』では「八十八番の次第、いづれの世、誰の人か定めたまへる。定かならず」として、善通寺より始めている。とはいえ、これに先立つ澄禅の『四国辺路日記』には「大師は阿波の北分十里十ヶ寺霊山寺を最初にして阿波土佐伊豫讃岐と順に御修行なり」とあり、すでに霊山寺を打ち始めとする観念が成立して久しいことを伺わせる(当然、大窪寺が結願であろう)。
元正天皇の御代(714〜24)行基菩薩が開創したと伝えられる。その後、唐より帰朝した弘法大師が留錫し、虚空蔵求聞持法を修した。そして、薬師如来を刻んで本尊とし、恵果阿闍梨より授かった三国伝来の錫杖を納めたという。
女人禁制の高野山に対し、女人の参詣を許したことから「女人高野」と呼ばれ、最盛期には10町四方の境内に堂宇百余を数えたという。しかし天正年間(1573〜92)長宗我部の兵火で一院を残して焼失した。
寛文年間(1661〜74)高松藩主・松平頼重が阿弥陀堂・大師堂を建立し、祈願所とした。元禄年間(1688〜1705)松平頼常は本堂を修築し、七道伽藍を整えた。しかし、この伽藍も明治33年(1900)祝融の災にあって焼失、現在の伽藍はその後の再建である。
新しく建立された大師堂はかなり大きなもので、地下には八十八ヶ所のお砂踏みが設けられている。また、大師堂脇の宝杖堂には、結願したお遍路さんが納めた金剛杖が納められている。納められた杖は大護摩によって供養されるとのことである。
大窪寺は分水嶺の南にあり、門前の道を進むと10番切幡寺の近くに出る。大窪寺を打ち終わったお遍路さんは十里十ヶ寺を逆に進んで霊山寺を参拝し、高野山奥の院へと向かう。
大窪寺の奥の院は、弘法大師が求聞持法を修したという胎蔵峰寺である。また、さぬき市大川町の西教寺は八十八番の前札所とされる。
二天門 大師堂
二天門 大師堂
宝杖堂 厄除橋
宝杖堂 厄除橋
御朱印 左が平成元年、右が平成19年に拝受したもの。中央の文字は「薬師如来」。中央の朱印は薬師如来の種字「ベイ」、左下は「結願所」。
平成元年の納経印 平成19年の納経印

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2007.12.23
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