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本 堂
| 臨海山 福寿寺 龍光院 (りんかいざん ふくじゅじ りゅうこういん) | |
|---|---|
| 本尊 | 十一面観世音菩薩 |
| 創建年代 | 元和元年(1615) |
| 開基 | 栄瑜上人 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 所在地 | 愛媛県宇和島市天神町1−1 (地図表示:マピオン) |
| 御詠歌 | みめぐみの杖をたよりに有為の山 越えてくもらぬ月を見るかな |
| 巡拝 | 伊予十観音霊場 |
| メモ | 元和元年(1615)伊達秀宗が宇和島藩主として入封した際、宇和島城の鬼門鎮護のために建立し、祈願所とした。寛永15年(1638)四国を巡錫された大覚寺の空性法親王が立ち寄られ、風光明媚であることを賞して「臨海山福寿寺」の寺号を賜ったという。 本来、40番札所観自在寺の奥之院は、宇和島の沖にある九島の遍照山願成寺(鯨大師)であった。大同元年(806)弘法大師が四国八十八ヶ所開創を成就された記念に建立された寺であると伝えられる。 しかし離島で参拝に不便であるため、寛政8年(1631)元結掛に移された(現在の馬目木大師)。ここは、九島への参拝が不便であるため、弘法大師が九島の遙拝所として設けられたという伝承がある。弘法大師が突き立てたウバメガシ(馬目木)の杖が根付いたということから馬目木大師と呼ばれるようになったという。 その後、明治に至って龍光院に合併されたため、龍光院が40番奥之院の法灯を継ぐことになったのである。 境内は宇和島城を望む小高い岡の上にある。正面には111段の石段があるが、これは108煩悩に過去(先祖)現在(自己)未来(子孫)の三世を合わせたものという。また、境内には弘化2年(1845)建立という芭蕉の句碑がある。芭蕉の母が宇和島の出身であることに因むとのことである。 |
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| 参道の石段 | 芭蕉の句碑 |
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| 四国百八霊場お砂踏み | 大師堂 |
| 御朱印 | 平成元年に拝受したもの。中央の墨書は弥勒菩薩の種字「ユ」に「遍照殿」。遍照殿は弘法大師を祀るお堂(つまり大師堂)。また、弘法大師は弥勒の三昧に住しているということから、弥勒菩薩の種字と真言を用いる。中央の朱印は十一面観音の種字「サ」。墨書と朱印の示す内容が異なるのは珍しい。四十番奥之院としての由緒が鯨大師願成寺からの法灯を継いでいることによるのであろうか。 |
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2008.08.17
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