天保11年の納経印。墨書部分は印判で、「御祈願所 讃岐国大内郡 白鳥大神宮 当番社家」とある。
古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 四国八十八ヶ所 > 涅槃の道場
白鳥神社 (しろとりじんじゃ) | |
---|---|
御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 両道入姫命〔ふたじいりひめのみこと〕 橘姫命〔たちばなひめのみこと〕 |
旧称 | 白鳥宮 白鳥大神宮 鶴内八幡宮 |
創建年代 | 成務天皇の御代(131〜90) |
所在地 | 香川県東かがわ市松原69 (マピオン/googleマップ) |
御詠歌 | − |
メモ | 景行天皇の御代、伊勢国能褒野で薨去された日本武尊の神霊が白鶴と化し、大和国琴弾原から河内国旧市邑、そして讃岐国大内郡鶴内の里へと飛来した。成務天皇の御代、勅によって神陵が営まれ、仲哀天皇は神籬を立てさせた。さらに仁徳天皇の御代、讃岐国造に命じて祠が建てられたという。 源義経が屋島の合戦に際して戦勝を祈願し、霊験を得たとされ、武門の神として崇敬されるようになった。中世には八幡神を祀り、鶴内八幡宮と称された。 高松藩主となった松平頼重は当社を深く崇敬し、京都の吉田神社より卜部(猪熊)兼古を招いて神主とした。八幡神を西山村の別宮八幡神社に遷し、改めて主祭神を日本武尊とするとともに、社僧を排して唯一神道に改めた。さらに社領200石を寄進した上で、幕府に申請して朱印地とした。以後、歴代高松藩主の崇敬篤く、西の金比羅と並んで繁栄したという。 特に弘法大師に関わる由緒を持つわけではないが、東讃を代表する名社として多くの遍路が参拝したようで、江戸時代の納経帳にその名を見ることができる。〈諸国神社御朱印集へ〉 |
![]() |
![]() |
鳥居 | 注連柱 |
![]() |
![]() |
本殿 | 白鳥の松原 |
![]() |
中央の墨書は「日本武尊」。中央の朱印は鶴丸の紋、右上の印は「第七番」。左下の印は「白鳥神社」で、通常の神社の御朱印と同じもののようだ。
天保11年の納経印。墨書部分は印判で、「御祈願所 讃岐国大内郡 白鳥大神宮 当番社家」とある。
2014.08.03
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.