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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

旧第1番奥之院
大麻比古神社
おおあさひこじんじゃ

大麻比古神社 (おおあさひこじんじゃ)
御祭神 大麻比古大神〔おおやまづみのおおかみ〕
大山積大神〔おおやまづみのおおかみ〕
旧称 大麻彦権現 大麻彦大明神
創建年代 伝・神武天皇の御代
所在地 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13 (地図表示:マピオン)
公式サイト http://www.ooasahikojinja.jp/
メモ 霊山寺の山門の左の道を北に進むと、巨大な朱塗りの鳥居が現れる。参道の両脇には大きな石の灯籠が並び、広く信仰を集めている様子がうかがわれる。
阿波国一宮で、阿波藩主蜂須賀氏は阿波・淡路両国の総鎮守として崇敬した。
社伝によれば、神武天皇の御代、天富命〔あめのとみのみこと〕が勅命を奉じて阿波国に入り、麻・楮の種を蒔き、木綿〔ゆう〕麻布などの生産を行った。その守護神として太祖・天太玉命〔あめのふとたまのみこと〕(大麻比古大神)を奉斎したのが創祀とされる。また、後に大麻山の峰に祀られていた猿田彦大神を合祀したという。大麻山には奥宮がある。ただし、江戸時代までは猿田彦命と阿波忌部の祖・天日鷲命〔あめのひわしのみこと〕を祭神としていた。
寂本の『四国徧礼霊場記』には霊山寺の奥の院とされており、真念の『四国辺路道指南』には「(霊山寺の)北三丁に大麻彦大明神伴社中宮西宮あり。かならず参詣すべし」とある。澄禅の日記にも参詣の記述がある(現在では種蒔き大師・東林院が奥の院とされている)。
阿波国一宮については、古くは徳島市の旧13番札所・一宮神社(もしくは、その元宮とされる神山町の上一宮大粟神社)がそうであったという説がある。勝瑞城に拠点を置いた阿波国守護・細川氏が、一宮神社と関わりの深い国府城の小笠原氏に対抗して大麻比古神社を一宮にしたのではないかというのである。室町時代の『大日本一宮記』では大麻比古神社が一宮にあげられている。
四国霊場では各国の一宮が札所となっていたのだが、阿波国では一宮神社が札所であり、大麻比古神社は奥の院の扱いである。このことから考えてみると、札所が定まった時代にはまだ一宮神社が一宮とされていたのではないだろうか。他の一宮を考えても、一宮である大麻比古神社が札所になるのが自然である。あるいは、44番大宝寺とその奥の院である45番岩屋寺がともに札所とされていることを考えれば、一宮である大麻比古神社と霊山寺がともに札所とされても不思議ではない。
「かならず参詣すべし」とされるほどでありながら札所になってないというのは、やはり八十八ヶ所が成立した時点では、まだ一宮とされていなかったと考えるべきではないだろうか。逆に言えば、八十八ヶ所の成立は大麻比古神社が阿波国一宮として定着する以前、『大日本一宮記』より古い時代ではないかと思う。
社殿後方の神苑には「ドイツ橋」と「めがね橋」がある。第一次大戦で捕虜となった板東俘虜収容所のドイツ兵が、帰国を前に、収容所での寛大な処置に対する感謝の記念として造ったものだという。現在では日独両国民の友情の橋として大切にされている。〈諸国神社御朱印集へ
大鳥居 御神木
本殿 奥宮遙拝所

中央の墨書は「阿波一宮大麻比古神社」。中央の朱印は「大麻比古神社」、右上は「阿波国一宮」

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2009.01.18
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