中央の印は「石清水八幡神社之印」。
古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 四国八十八ヶ所 > 菩提の道場
石清水八幡神社 (いわしみずはちまんじんじゃ) | |
---|---|
御祭神 | 品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕 足仲彦命〔たらしなかつひこのみこと〕 息長帯比売命〔おきながたらしひめのみこと〕 〈配祀〉 市杵島比売命〔いちきしまひめのみこと〕 多紀理比売命〔たぎりひめのみこと〕 多岐津比売命〔たぎつひめのみこと〕 |
旧称 | 石清水八幡宮 勝岡八幡宮 |
創建年代 | 貞観元年(859) |
創建 | 河野深窮/行教上人 |
所在地 | 愛媛県今治市玉川町八幡日坂乙29・30 (地図表示:マピオン) |
御詠歌 | この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏 |
メモ | 社伝によれば貞観元年(859)河野深躬が勝岡に創建し、勝岡八幡宮と称した。永承年間(1046〜52)伊予守・源頼義は河野親経と協力して八幡山に遷し、山城国の石清水八幡宮に倣って社殿を造営し、石清水八幡宮と称したとされる。 また一説には、行教上人が宇佐八幡より八幡大神を奉じて山城国の男山(石清水八幡宮)に向かう途中、嵐にあって当地の沖を漂流中、望見した八幡山の山容が男山に似ていることから、八幡宮を勧請したともいう。 寂本の『四国徧礼霊場記』によれば、源頼義と河野親経が建立した伊予国内八社の八幡宮のうち、当社がその随一であるという。 旧別当は府頭山栄福寺(真言宗)と法華山浄寂寺(臨済宗)。江戸時代までは当社が57番札所であったが、明治の神仏分離以降、栄福寺が札所を引き継いでいる。 平成20年の正月に参拝し、御朱印について宮司さんに伺ったところ、宮司に就任したときには既に御朱印はなかったとのこと。しかし、対応を考えてくださるということであった。後日連絡したところ、別の方からも御朱印についての問い合わせがあったこともあって、御朱印を作製することにしたということであった。そして平成21年の正月に無事に御朱印を拝受。記念すべき第一号とのことであった。 |
![]() |
![]() |
東山麓の参道と鳥居 | 栄福寺側の参道 |
![]() |
![]() |
拝殿 | 本殿 |
![]() |
中央の印は「石清水八幡神社之印」。
2012.05.16
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.