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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

旧第79番
白峰宮
しろみねぐう

白峰宮

白峰宮 (しろみねぐう)
御祭神 七十五代 崇徳天皇〔すとくてんのう〕
旧称 崇徳天皇社野沢井宮 崇徳天皇明の宮
創建年代 長寛2年(1164)
所在地 香川県坂出市西庄町1712 (地図表示:マピオン)
メモ 79番札所・天皇寺高照院の境内と一体となっている。白峰宮の朱塗りの三ツ鳥居(三輪鳥居)をくぐると左側に高照院の本堂と大師堂、右側に庫裏・納経所があり、正面に白峰宮という配置になる。そのため、とまどうお遍路さんも少なくないようだ。
保元の乱に敗れた崇徳院は、当社近くにあった雲井御所〔くもいごしょ〕に滞在し、その後、讃岐国庁の木丸殿〔このまるでん〕に移された。
長寛2年(1164)8月、崇徳院が崩御されると、残暑の季節であったため、葬儀について朝廷からの指示を待つ間、当社近くにある弥蘇場〔やそば〕(八十場)の泉に御尊体を安置した。その後、朝廷からの指示により、御尊体は白峰山上で荼毘〔だび〕に付され、白峯寺に御陵が営まれたが、その間、当地の霊木に神光があった。そこで同年10月、二条天皇の宣旨により、崇徳院を祀る御廟が営まれ、弘法大師の開基と伝えられる金華山妙成就寺摩尼珠院が別当とされた。
以後、崇徳天皇社・妙成就寺は朝廷・武門から厚く尊崇され、社頭は繁栄した。また、江戸時代までは四国霊場79番として多くの巡拝者を迎えた。妙成就寺摩尼珠院は天皇ゆかりの寺ということで天皇寺と称された。真念法師の『四国辺路道指南』には「崇徳天皇」の名になっており、『四国徧礼霊場記』では「金花山妙成就寺摩尼珠院」だが、目次では「崇徳天皇」となっている。
江戸時代までの妙成就寺が崇徳天皇社を中心としていたことは間違いないと思われる。ところが崇徳天皇社はいうまでもなく弘法大師より後世の創建である。『四国徧礼霊場記』には妙成就寺について「此寺大師乃御開基」とするが、具体的な縁起についての記述はなく、野沢(八十場)の泉と金山の薬師について触れるのみである。澄禅は「弘法大師御定ノ札所」は金山の薬師だが、中古以来、妙成就寺・崇徳天皇社が栄えて、大きな伽藍を誇っているため、事情を知らない遍路が崇徳天皇社を札所だと思うようになり、札所とされるようになったとする。
明治に至り、神仏分離によって崇徳天皇社は白峰宮となり、妙成就寺は廃寺とされたが、筆頭末寺の高照院が摩尼珠院の旧地に移転し、天皇寺を再興して79番札所を引き継いだ。これが境内を同じくしている由縁である。〈諸国神社御朱印集へ
鳥居(三輪鳥居) 拝殿
鳥居(三輪鳥居) 拝殿
本殿 「崇徳天皇御殯斂御遺蹟」の碑
本殿 「崇徳天皇御殯斂御遺蹟」の碑
白峰宮の御朱印

中央の墨書は「白峰宮」、右は「奉斎 崇徳天皇」。上の朱印は「白峰宮印」、下は「崇徳天皇社印」。

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2009.03.01
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