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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

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眺海山 洲崎寺
ちょうかいざん すさきじ

洲崎寺

眺海山 円通院 洲崎寺 (ちょうかいざん えんつういん すさきじ)
本尊 聖観世音菩薩
創建年代 大同年間(806〜10)
開基 弘法大師
宗派 高野山真言宗
所在地 香川県高松市牟礼町牟礼2691 (地図表示:マピオン)
御詠歌  
巡拝等 さぬき三十三観音第2番
メモ 源平合戦ゆかりの寺として知られる。源平合戦の頃は屋島が文字通り島であり、洲崎寺はその対岸にあった。
寺伝によれば、大同年間(806〜10) 弘法大師によって開創されたという。本尊の聖観世音菩薩は弘法大師の作と伝えられる。
寿永4年(1185)屋島に立て籠もる兵士の軍勢を、源義経率いる源氏の軍勢が攻撃。世に名高い屋島の合戦である。屋島にほど近い洲崎寺は戦火に巻き込まれ、堂宇は烏有に帰した。
この時、佐藤継信が義経の身代わりとなり、平教経の矢によって亡くなった。義経は寺の僧に命じ、継信の遺骸を焼け残った本堂の戸板に乗せて本陣まで運んだと伝えられる。
その後、寺は再建されたが、長宗我部の兵火により再び焼失。元禄12年(1699)に再興された。
琴電八栗駅の近くに佐藤継信の墓がある。寂本の『四国徧礼霊場記』には継信の墓と洲崎の堂(洲崎寺)が「順礼所にあらずといえども道すじなるの故に」として載せられている。
しかし現在は、遍路にとっては真念法師の墓があることで知られる。宥弁真念は『四国辺路道指南』などを著し、道標や遍路宿を建立して、四国遍路の普及・大衆化に尽くしたことから「四国遍路の父」と称される。真念法師の墓は昭和48年(1973)牟礼町塩屋南三昧の共同墓地で発見され、同55年(1980)洲崎寺に移された。
寺の近くには佐藤継信の墓のほか、総門跡や義経弓流しの地、那須与一ゆかりの駒立て岩・祈り岩など、源平合戦ゆかりの場所が多い。
本堂 真念法師の墓
本堂 真念法師の墓
佐藤継信の墓 源平合戦総門碑
佐藤継信の墓 源平合戦総門碑
洲崎寺の納経印

納経印は真念法師墓所のものと讃岐三十三観音霊場のものがある。番外札所としては信念法師墓所のほうになろう。中央の墨書は「聖観音」。中央の朱印は聖観世音菩薩の種字「サ」、右上は「四国霊場大先達 大法師真念墓所」、左下は「洲崎寺印」。

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2008.05.25
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