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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

上川神社
かみかわじんじゃ

拝殿
拝 殿

上川神社 (かみかわじんじゃ)
御祭神 天照皇大御神〔あまてらすすめおおみかみ〕
大己貴大神〔おおなむちのおおかみ〕
少彦名大神〔すくなひこなのおおかみ〕
〈左座〉
豊受姫神〔とようけひめのかみ〕
大物主神〔おおものぬしのかみ〕
天乃香具山神〔あめのかぐやまのかみ〕
建御名方神〔たけみなかたのかみ〕
譽田分命〔ほんだわけのみこと〕
敦実親王〔あつみしんのう〕
〈右座〉
鍋島直正命〔なべしまなおまさのみこと〕
黒田清隆命〔くろだきよたかのみこと〕
永山武四郎命〔ながやまたけしろうのみこと〕
岩村通俊命〔いわむらみちとしのみこと〕
鎮座地 北海道旭川市神楽岡公園2−1 (Mapion/googlemap
創建年代 明治26年(1983)
社格等 旧県社 別表神社
由緒 旭川市郊外の神楽岡公園に鎮座する。神楽岡はアイヌ語で「ヘッチエウシ」という。「ヘッチ」は歌舞の合間に「ヘイッ! ヘイッ!」と囃子を入れる、「エウシ」は「〜するところ」の意味。昔、神様がこの岡に降って歌舞を奏したので、人々が集まって「ヘイッ! ヘイッ!」と打ち囃し、ともに舞い踊って楽しんだという伝承がある。これを神楽岡と意訳したという。
ここは、かつて上川離宮が置かれる予定だった場所で、初代北海道庁長官・岩村通俊、同二代長官・永山武四郎によって建言され、閣議決定までしていた。しかし、日清・日露戦争や、北海道の中心が旭川に移ることを危惧する札幌・小樽の反対などにより実現しなかった。
上川神社は、明治26年(1893)、市街地予定地で、義経台と呼ばれていた高台(現在の旭川駅付近)に上川地方開拓守護・旭川の鎮守として天照皇大御神を祀ったことを創祀とする。同36年(1903)神社創立を許可され、翌37年(1904)大己貴大神と少彦名大神を合祀した。
同39年(1906)村社に列格。大正2年(1913)無格社・近文神社を合祀、御祭神を左座右座に配祀した。同4年(1915)郷社、同12年(1923)県社に昇格。翌13年(1924)神楽岡の現社地に遷座した。
昭和30年(1955)別表神社に加列。平成4年(1992)には右座に岩村通俊を合祀した。
例祭 7月21日
※7月20日/宵宮祭・7月22日/後日祭
神事・行事 1月7日/火鑚神事
1月8〜12日/古神札焼納祭(とんど焼き)
1月15日/月次祈願講社新年大祭
5月15日/月次祈願講社春の大祭
9月15日/月次祈願講社秋の大祭
公式サイト http://www.kamikawajinja.com/
メモ 神社の鎮座する神楽岡は、JR富良野線神楽岡駅から少し歩いたところにあり、旭川市郊外の風光明媚な地である。神社までは15分ほどかかる。
境内には上川離宮に関する石碑などがある。岩村・永山らは単に離宮を建設するだけでなく、それを中心として北の都(北京)を建設し、北海道開拓の中心とする意図を持っていたようだ。それが実現していれば、現在の北海道もずいぶん違ったものになっていたであろう。
私は未参拝なのだが、市街地に上川神社の頓宮があり、そこでも御朱印をいただくことができるようだ。
第一鳥居 旭川天満宮
第一鳥居 旭川天満宮
史跡上川離宮建設予定地の標柱 上川離宮宣達書碑
史跡上川離宮予定地の標柱 上川離宮宣達書碑
舞殿 本殿
舞殿 本殿
上川神社の御朱印

朱印は「上川神社之印」。

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2009.11.04
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