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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

鮎貝八幡宮
あゆかいはちまんぐう

鮎貝八幡宮拝殿

鮎貝八幡宮 (あゆかいはちまんぐう)
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
〈合祀〉
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
鎮座地 山形県西置賜郡白鷹町鮎貝3303−1 (Mapion/googlemap
創建年代 康平2年(1059)
社格等 旧県社 別表神社
由緒 創建年代は不詳だが、社伝によれば、康平2年(1059、康平3年とする資料もあり)源頼義が東征に際して八幡太郎義家に戦勝を祈願せしめ、凱旋の折に従士の赤間主膳に正八幡宮を創建させ、別当として奉仕させたという。
その後、領主の鮎貝氏、長井氏、伊達氏、蒲生氏らにより崇敬を受けた。上杉氏が入部して後は野川以北18ヶ村の総鎮守に定められ、藩の祈願所とされた。
明治31年(1898)には八幡台の旧社地から現社地に移転遷座した。当地は応永3年(1396)藤原(横越)成宗が鮎貝城を築いて横越から移り住み、鮎貝氏を称したところである。現社地は鮎貝城の本丸跡に当たる。鮎貝氏が伊達氏に従って移転し、上杉氏の所領となった後も米沢藩の御役屋が置かれていた。
昭和34年(1959)別表神社に加列される。
例祭 10月10日
神事・行事 1月壬辰の日/鎮火祭
1月/厄除祓祈願祭
2月/進学入試合格祈願祭・小学児童安全祈願祭
4月25日/春祭(豊饒祈願)
7月/交通安全祈願祭
11月23日/秋祭(豊饒感謝)
文化財 〈県有形文化財〉本殿
メモ 山形鉄道フラワー長井線の終点・荒砥駅の一つ手前、四季の郷駅からほど近くに鎮座する。
創建年代について、例えば東京堂出版の『神社辞典』などでは康平3年(1060)の創建とあり、ネット上の記述も大半がそうなっているが、由緒書等、神社から出ている資料は康平2年(1059)となっている。
事前に連絡した上でお伺いしたのだが、宮司様から歓待を受け、お茶とお菓子をいただいた上に、昇殿参拝までさせていただいた。それからいろいろな話をしたのだが、その中で町内荒砥に鎮座する兼務社の八乙女八幡神社の話題になり、御朱印はないものの宮司印と墨書で対応してくださった上、わざわざ車で現地まで案内してくださった。その間、宮司さんは神社のことのみならず、白鷹町のよさについてもいろいろ話してくださり、特に桜の季節に再訪するよう勧められた。
夕方の社務所を閉める時間ということもあっただろうが、実に至れり尽くせりで、こちらが恐縮するほどであった。宮司さんの対応は、もともと親切な人柄でもあるのだろうが、同時に郷土愛というか、町の発展を真剣に考えてのことだろうというのが伝わってきた。実際、話を聞いているうちに、私もぜひ桜の季節に再訪したいものだと思うようになった。こういった方たちによって地方が支えられているのだと思う。
現在の境内は旧鮎貝城の跡で、町の史跡。総欅造りで三間社流造の豪壮な本殿は県の有形文化財。天保14年(1843)の建造で、明治31年(1898)の遷座の際に移築されたものである。一見境内社のように見える鮎貝城鞘殿には、鮎貝城の75分の1の模型が納められている。
宮司さんのお話によれば、わざわざ御朱印拝受のために遠方から参拝する人というのは年に数人だということであった。大変惜しいことである。そのおかげでゆっくり宮司さんとも交流できたともいえるのだが、それにしても、もっと広く知られてよい神社だと思う。フラワー長井線の沿線には他にも宮内熊野大社や総宮神社などがあり、併せての参拝もよいのではないだろうか。
鳥居 天照皇大神
鳥居 天照皇大神
鐘楼 忠魂碑
鐘楼 忠魂碑
境内の石祠 鮎貝城鞘殿
境内の石祠 鮎貝城鞘殿
高良神社 本殿
高良神社 本殿
鮎貝八幡宮の御朱印

中央の朱印は「鮎貝八幡宮之印」。

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2012.04.11
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