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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

安積国造神社
あさかくにつこじんじゃ

安積国造神社拝殿

安積国造神社 (あさかくにつこじんじゃ)
御祭神 和久産巣日神〔わくむすひのかみ〕
天湯津彦命〔あめのゆつひこのみこと〕
比止禰命〔ひとねのみこと〕
誉田別命〔ほんだわけのみこと〕
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
旧称 国造神社 八幡宮
鎮座地 福島県郡山市清水台一丁目6−23 (地図表示:マピオン)
創建年代 伝・成務天皇の御代(131〜190)
社格等 旧県社
由緒 郡山駅から徒歩数分のところに鎮座し、郡山総鎮守を称する。
『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御代、阿岐(安芸)国造と同祖で、天湯津彦の十世の孫・比止禰命が阿尺(安積)国造に任じられたとある。社伝によれば、比止禰命は成務天皇5年(135)当地に赴き、四方八丁の稲城(城の古い形)を築くとともに、赤木山に和久産巣日神と天湯津彦命を祀った。その四世の孫・止禰彦は比止禰命を合祀し、国造神社と称するようになったという。以来、その後裔が宮司を継いでいる。
延暦年間(782〜806)坂上田村麻呂東征の際、国造神社に宇佐八幡大神を合祀し、旗と弓を奉納した。永承年間(1046〜53)源頼義が当地に滞在、また寛治元年(1087)源義家が神領を寄進したという。
江戸時代には二本松藩主・丹羽氏の崇敬を受け、丹羽氏の家紋である直違を神紋として用いることを許された。
天和3年(1683)赤木山から八幡大神が、かつての領主である安積伊東氏の旧城内から稲荷大神が現社地に遷し祀られた。さらに明治5年(1872)赤木山の国造神社も遷座し、三社を合わせて安積国造神社と称するようになった。なお、赤木山の旧社地には、境外摂社・赤木神社が鎮座している。
例祭 9月27日〜29日
神事・行事等 1月5日/金幣祭
1月7日/どんど焼き
4月15日/春季例大祭^
12月28日/大鏡餅奉納式
文化財 〈県有形文化財〉安積艮斎関係資料
公式サイト http://www.asakakunituko.jp/
メモ 御祭神の天湯津彦命は、『先代旧事本紀』によれば天饒速日命に従って天降った神の一柱である。
江戸時代、昌平坂学問所の教授を務めた儒学者・安積艮斎は当社の社家に生まれた。佐藤一斎・林述斎に学んだ後に私塾を開き、門人は2千人余を数える。境内には艮斎の銅像や誕生地の碑、記念館などがある。また、末社の安積天満宮には菅原道真とともに安積艮斎が祀られている。
国道4号線に面して二の鳥居がある。その脇に建つ社号標の文字は有栖川宮熾仁親王の御染筆である。また、北参道にある鳥居の扁額の文字は勝海舟の揮毫という。
二の鳥居と社号標 三の鳥居と境内
二の鳥居と社号標 三の鳥居と境内
御神楽殿 高遠の透かし燈籠
御神楽殿 高遠の透かし燈籠
安積艮斎の銅像と誕生地の碑 末社・安積天満宮
安積艮斎の銅像と誕生地の碑 末社・安積天満宮
摂社・皇大神宮 本殿
摂社・皇大神宮 本殿
安積国造神社の御朱印

中央上の朱印は「総鎮守社之印」、下は「福島県郡山総鎮守 安積国造神社 参拝記念 社務所」。

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2011.04.13
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