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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

伊佐須美神社
いさすみじんじゃ

伊佐須美神社楼門

伊佐須美神社 (いさすみじんじゃ)
御祭神 伊弉諾尊〔いざなぎのみこと〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
大毘古命〔おおびこのみこと〕
建沼河別命〔たけぬなかわわけのみこと〕
鎮座地 福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377 (Mapion/googlemap
創建年代 伝・崇神天皇10年(B.C.88)
社格等 式内社(名神大) 旧国幣中社 陸奥国二宮 岩代国一宮 別表神社
由緒 古事記によれば、崇神天皇の命により高志(北陸)に派遣された大毘古命と、その子で東の方十二道(東海)に派遣された建沼河別命が相津(会津)で行き会った。そこで会津と名付けられたとある。この時、国土開拓の祖神である伊弉諾尊・伊弉冉尊を天津嶽に祀ったのが当社の創祀とされる。
その後、博士山・明神岳を経て、欽明天皇13年(552)に現社地へ遷座したという。また、この時に大毘古命・建沼河別命も合祀された。
陸奥国二宮、会津総鎮守として朝野の崇敬を受け、延喜の制では名神大社に列格、また寛政11年(1799)には大神宮号の宣下があった。また、藩祖・保科正之以来、会津大鎮守六社の一とされ、歴代藩主や武士・領民から篤く尊崇された。明治6年(1873)には国幣中社に昇格した。現在は岩代国一宮(新一の宮)として全国一の宮会に加盟している。
平成20年(2008)10月3日、火災により拝殿等が焼失。さらに同月29日も火災があり、本殿・神楽殿・新撰所などが全焼した。約10年を掛けて再建されるとのことである。
例祭 9月15日
神事・行事等 1月1日/八方除始祭
4月15日/鎮火祭
4月29日/花祝祭・太々神楽
6月中下旬〜7月上旬/あやめ祭
7月12日(11〜13日)/御田植祭
10月9日/抜穂祭
文化財 〈重文〉朱漆金銅装神輿  〈県有形文化財〉木造狛犬(一対) 〈県重要無形民俗文化財〉田植神事 〈県天然記念物〉フジ(飛龍の藤)
メモ 参拝は平成20年の9月初め。ふと思い立っての参拝だったのだが、その約一ヶ月後に火災で社殿が焼失したこというニュースを見て驚いた。
会津高田駅から伊佐須美神社に向かう途中にある齋神社は第一摂社。また、末社の殺生石稲荷神社は、那須の温泉神社にある殺生石のかけらが飛来し、祟りがあったので、それを鎮めるために祀ったものという。
御神木の薄墨桜は会津五桜に数えられる。県の天然記念物に指定されている藤は、白樺の木に絡みついた姿から飛龍の藤と称される。また、当地は天海僧正生誕の地と伝えられ、境内には天海僧正手植えという檜もある。
摂社・齋神社 参道と大鳥居
摂社・齋神社 参道と大鳥居
末社・殺生石稲荷神社 薄墨桜
末社・殺生石稲荷神社 薄墨桜
飛龍の藤 天海僧正手植えの檜
飛龍の藤 天海僧正手植えの檜
火災前の旧拝殿 火災前の旧本殿
焼失前の旧拝殿 焼失前の旧本殿

伊佐須美神社の御朱印は2ページを使用するものだが、伊佐須美神社の朱印帳をいただくと3ページ分になる。右の文字は「福寿」、中央は「伊佐須美神社」。朱印は右から順に「岩代一之宮」「会津総鎮守」「会津総鎮守伊佐須美神社」「名神大社」「伊佐須美神社」。

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2010.12.08
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