古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 福島県

古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

二本松神社
にほんまつじんじゃ

二本松神社

二本松神社 (にほんまつじんじゃ)
御祭神 〈熊野宮〉
伊佐奈美命〔いざなみのみこと〕
速玉男之命〔はやたまおのみこと〕
事解男之命〔ことさかのおのみこと〕
〈八幡宮〉
品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕
気長足媛命〔おきながたらしひめのみこと〕
旧称 御両社
鎮座地 福島県二本松市本町 (地図表示:マピオン)
創建年代 久安年間(1145〜51)
社格等 旧県社
由緒 旧二本松藩領の総鎮守。熊野宮と八幡宮を祀ることから、江戸時代には御両社とも称された。
社伝によれば、久安年間(1145〜51)地頭の安達藤久郎盛長が田地ヶ岡に城を築いた際、熊野大神を勧請して鎮守としたことに始まるという。
南北朝時代、奥州探題に任じられた畠山高国は田地ヶ岡に館を構えるとともに、地名を二本松と改めた。その曾孫に当たる畠山満泰は白旗ヶ峰に城を築いて二本松城と称し、熊野大神を本丸に遷座するとともに八幡大神を勧請合祀して領内の総鎮守とした。その後も歴代領主によって篤く崇敬された。
寛永20年(1643)初代二本松藩主となった丹羽光重は、扶持米80石・社領25石を寄進し、二本松領の総鎮守とした。さらに寛文元年(1661)霊夢により城内から現社地に遷座し、社領50石を寄せるとともに領民の参拝を許可した。この時、光重の敬神相民の精神から、丹羽家の守護神である八幡宮を下座(向かって左)に、領民の守護神である熊野宮を上座(向かって右)に祀ったという。
現在の社殿は寛政6年(1794)の大火で焼失した後、文化3年(1806)に再建されたもの。また、随神門は翌4年(1807)の再建である。
明治5年(1872)二本松神社と改称。大正3年(1914)県社に昇格した。
10月に行われる例大祭は「二本松提灯祭り」として名高い。氏子町内から引き出される7台の太鼓台に300個余りの提灯をつけて引きまわす勇壮な祭で、秋田の竿灯(秋田市)・尾張津島天王祭(愛知県津島市・津島神社)とともに日本三大提灯祭の一に数えられる。
例祭 10月4・5・6日(二本松提灯祭り)
神事・行事等 2月3日/節分祭
8月1日/夏越大祓祭
年末えびす講の日/御三社例祭
文化財 〈県重要無形民俗文化財〉二本松の祭り囃子
メモ JR二本松駅からほど近く、街中の岡の上に鎮座する。一の鳥居をくぐり、石段を登っていくと随神門が見えてくる。さらに境内を進むと小ぶりの神門があり、その奥に社殿がある。由緒書によると、かつては「江戸より当所までの道筋には宇都宮明神と当社の外に大社なし」と称されたという。境内の手入れも行き届いている印象で、生い茂る社叢と壮麗な社殿が調和した気持ちよい空間を作っている。
由緒書や『平成「祭」データ』には境内社として御三社(祭神:事代主命、少彦名命、天神命)が挙げられている。下の写真の境内社がそうだと思うのだが、未確認。
一の鳥居 随神門
一の鳥居 随神門
神楽殿 境内社
神楽殿 境内社
神門 拝殿
神門 拝殿
二本松神社の御朱印

右上の朱印は「二本松神社 参拝記念」、中央は「岩代二本松鎮座」、左下は二本松提灯祭の提灯で飾られた太鼓台。

もどる


2011.07.13
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.