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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

宇都宮二荒山神社
うつのみや ふたあらやまじんじゃ

宇都宮二荒山神社拝殿

二荒山神社 (ふたあらやまじんじゃ)
御祭神 豊城入彦命〔とよきいりひこのみこと〕
〈相殿〉
大物主命〔おおものぬしのみこと〕
事代主命〔ことしろぬしのみこと〕
旧称 宇都宮大明神
鎮座地 栃木県宇都宮市馬場通り一丁目1−1 (Mapion/googlemap
創建年代 伝・仁徳天皇の御代(313〜399)
社格等 式内論社(名神大) 旧国幣中社 下野国一宮 別表神社
由緒 宇都宮市の中心に鎮座する。もともと宇都宮は二荒山神社の門前町として形成された町であり、その名も神社に由来する(一宮説、移しの宮説、稜威〔いつ〕の宮説、現〔うつつ〕の宮説、臼ヶ峰説などがある)。宇都宮市の市民憲章にも「宇都宮市は、恵まれた自然と古い歴史に支えられ、二荒の森を中心に栄えてきたまちです」と謳われている。
社伝によれば、仁徳天皇の御代、毛野国が上毛野(上野)国と下毛野(下野)国に分けられた際、下毛野の国造に任じられた奈良別王が、始祖・豊城入彦命を祀ったことに始まると伝えられる。
『日本書紀』によれば、豊城入彦命は崇神天皇の第一王子で、崇神天皇48年(B.C.50)大和より下って東国を治定したという。
当初の鎮座地は荒尾崎、現在の摂社・下之宮(馬場通三丁目1、大鳥居から大通りを南に渡ったところ、地図表示:マピオン)であったが、承和5年(838)臼ヶ峰の現社地に遷座した。
延喜式神名帳の名神大社・河内郡二荒山神社に比定されるが、日光二荒山神社を当てる説もある(ただし日光は都賀郡)。二荒山(男体山)の神を祀るとすれば、日光を山宮、宇都宮を里宮と見るのが自然なようにも思われるが、両社は祭神も異なっており、別の神社とされている。
前九年の役に際し、関白藤原道兼の曾孫という石山寺座主の宗円が賊徒平定の祈祷を行い、その功によって宇都宮の社務職と下野一国を与えられたと伝えられるが、疑問視されている。宗円の子孫は宇都宮氏を称し、代々、宇都宮大明神(二荒山神社)の神事を司る宇都宮検校職と宇都宮城主を世襲した。
歴代宇都宮氏をはじめ、武将の崇敬厚く、藤原秀郷、源頼義、源義家、源頼朝、徳川家康などが戦勝を祈願し、社殿の造営、神領や宝物の寄進をした。江戸幕府は朱印領1500石を寄進している。
明治元年(1868)戊辰戦争の宇都宮の戦いで社殿焼失。同10年(1877)政府によって再建される。同16年(1983)国幣中社に昇格した。
例祭 10月21日(秋山祭)
神事・行事 1月15日/春渡祭
1月28日/永代太々神楽祈祷祭
5月15日/田舞祭
5月28日/永代太々神楽祈祷祭
7月15〜20日/須賀神社例祭(天王祭)
9月28日/永代太太神楽祈祷祭
10月最終土・日曜日/菊水祭
12月15日/冬渡祭
文化財 〈重要美術品〉三十八間星兜 鉄製狛犬 〈県有形文化財〉太刀(拵付・銘:法成寺和泉守橘正次)
公式サイト http://www.futaarayamakaikan.jp/about/
メモ JR宇都宮駅前の大通りを西へ1kmほど進むと、右手に二荒山神社の大鳥居が見える。御朱印をいただいたときは、鳥居の東側に高層マンションが建つ計画があり、宇都宮のシンボルである二荒山神社社頭の景観を守るための運動が行われていた。平成20年に参拝したときは、鳥居の脇にスペースができていたので、景観を維持することで決着したのだろう。
大通りをはさんだ向かい側にある下之宮は、パルコのビルの影に寄り添うように建っているのだが、コンクリート打ちっ放し流造りの白っぽい社殿が、まわりの雰囲気と不思議にマッチしている。
大鳥居と参道 神門
大鳥居と参道 神門
本殿と末社・女体社 摂社・下之宮
本殿と末社・女体社 摂社・下之宮
宇都宮二荒山神社の御朱印

中央の御朱印は「宇都宮二荒山神社」、右上は「延喜式内下野一宮」、左下は「宇都宮市鎮座」。

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2008.04.13
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