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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

上野總社神社
こうずけそうじゃじんじゃ

総社神社拝殿
拝 殿

総社神社 (そうじゃじんじゃ)
御祭神 磐筒男命〔いわつつのおのみこと〕
磐筒女命〔いわつつのめのみこと〕
経津主命〔ふつぬしのみこと〕
須佐之男命〔すさのおのみこと〕
宇迦之魂命〔うかのみたまのみこと〕
〈相殿〉
正一位赤城大明神〔あかぎだいみょうじん〕
正一位抜鉾大明神〔ぬきほこだいみょうじん〕
正一位若伊香保大明神〔わかいかほだいみょうじん〕
正一位伊香保大明神〔いかほだいみょうじん〕
正一位岩根大明神〔いわねだいみょうじん〕
正一位小祝大明神〔おぼりだいみょうじん〕
正一位榛名大明神〔はるなだいみょうじん〕
従一位浅間大明神〔あさまだいみょうじん〕
従一位火雷大明神〔からいだいみょうじん〕
従一位倭文大明神〔しとりだいみょうじん〕
上野国内五百四十九社
通称 上野総社神社
旧称 総社大明神
鎮座地 群馬県前橋市元総社町一丁目31−45 (地図表示:マピオン)
創建年代 伝・崇神天皇48年(B.C.49)
社格等 上野国総社 旧県社
由緒 社伝によれば、崇神天皇の御代、豊城入彦命が東国平定のために当地に到り、国土平定に大功のあった経津主の命を奉斎して武運長久を祈願し、その親神である磐筒男命・岩筒女命を合わせ祀ったことに始まるという。安閑天皇元年(531)上毛野君小熊王が社殿を改築し、蒼海明神と称えたという。
平安時代、上野の総社として上野国内549社の祭神を勧請し、以来、総社明神と称されるようになった。合祀した神々を記す『上野国神明帳』は、清和天皇の御代に作成された後、三度にわたって書き写された。現在のものは弘治2年(1556)に書写されたものである。
永禄9年(1566)武田と北条の戦火により社殿・宝物等灰燼に帰し、元亀年間(1570〜73)に再建された。現在の社殿は天保3年に改築されたものである。
慶安2年(1649)徳川家光が朱印地26石を寄進。明治6年(1873)には県社に列格した。
例祭 3月15日
神事・行事 1月6日/射儀式
1月15日/御筒粥・置炭式
10月9日/秋季例祭
11月1日/御神迎式
文化財 〈県重要文化財〉本殿 懸仏(二面) 雲版 上野国神名帳
公式サイト http://www.net-you.com/souja/
メモ 参拝は1月のとても寒い朝。手水盤の水がカチカチに凍り付いていた。暖かい季節もよいが、寒い季節の参拝は自ずと心が引き締まり、神前に向かい合うのに相応しいような気がする。とはいえ、ご朱印拝受の際に暖かい御祈祷受付所に入れてもらい、ホッとしたのだが。
鳥居をくぐると、なかなか広い境内。参道の両側に赤い灯籠が並ぶ。右手には神楽殿、左手には護国英霊を祀る御霊神社がある。さらに鳥居をくぐると拝殿がある。群馬の神社らしく、見事な彫刻が施されている。殊に扉の十二支や向拝の天の岩戸の彫刻が興味深い。本殿は華麗な極彩色の流造り。
本殿の後ろには石の祠や石碑、道祖神が並ぶ。中には一対の男女が彫られた双体道祖神もあり、興味深い。
鳥居 神楽殿

本殿 道祖神群
総社神社御朱印

中央の墨書は「上野総社神社」。中央の朱印は「上野国総社神社之印」、左下は「総社神社宮司之印」。

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2008.08.31
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