古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 埼玉県

古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

三峯神社
みつみねじんじゃ

三峯神社拝殿

三峯神社 (みつみねじんじゃ)
御祭神 伊弉諾尊〔いざなぎのみこと〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
〈配祀〉
天之御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕
高皇産霊神〔たかみむすびのかみ〕
神皇産霊神〔かみむすびのかみ〕
天照皇大御神〔あまてらすおおみかみ〕
景行天皇〔けいこうてんのう〕
文武天皇〔もんむてんのう〕
聖武天皇〔しょうむてんのう〕
鎮座地 埼玉県秩父市三峰298−1 (Mapion/googlemap
創建年代 伝・景行天皇の御代
社格等 旧県社 別表神社
由緒 社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊が当地に至り、伊弉諾・伊弉冉の二神を祀ったことを創祀とする。その後、景行天皇が東国を巡幸された際、三つの山が美しく連なることから「三峯山」と名付け、社に「三峯宮」の名を賜ったという。
文武天皇の御代、役行者小角が来山して修行をしたと伝えられ、天平17年(745)には月桂僧都が山主に任じられた。淳和天皇の御代には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、本地堂に祀った。この頃から、神仏習合の霊場として栄えるようになったという。
鎌倉時代には畠山重忠・新田義興らをはじめ、東国の武士が深く崇敬したという。しかし正平7年(1352)足利氏との戦いに敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたため、足利氏によって社領を奪われ、衰微した。
文亀2年(1502)修験者の月観道満は勧進のために全国を巡り、社殿・堂宇を再建した。天文2年(1533)山主が京都の聖護院宮に伺候し、「三峯大権現」の称号を賜った。以来、坊門第一の霊山、天台修験の関東総本山となり、観音院高雲寺と称した。享保5年(1720)日光法印は社殿堂宇を造営、山内を復興するとともに、御眷属の「お犬様(山犬)」信仰を各地に広め、現在の繁栄の基礎を築いた。
明治2年(1869)神仏分離により別当観音院は廃され、三峯神社と号するようになった。
例祭 4月8日(ふじまつり)
神事・行事 1月14日・15日/御筒粥神事
1月第3・第4日曜日/豆炒り神事
2月節分/節分祭(ごもっともさま)
3月20日/一社講社祭
八十八夜/嵐除祭
5月3日/奥宮山開祭
6月第1日曜日/奥秩父山開祭
7月土用丑日/大日祭
8月第4週目日曜日/諏訪神社祭(獅子舞)
旧8月15日・旧9月13日/月読祭(十五夜)
二百十日/嵐除祭
10月9日/奥宮山閉祭
12月2日/冬季大祭
文化財 〈県有形文化財〉本殿 三峯神社日鑑(125冊) 〈県天然記念物〉三峯モミ
公式サイト http://www.mitsuminejinja.or.jp/
メモ 関東の神社を廻ると、しばしば境内社として三峯神社が祀られており、三峯信仰の広がりを実感させられる。
西武秩父駅からバスで約1時間半、標高1,100mの境内に壮麗な社殿が建ち並ぶ。高地の霊場を訪れると常に思うことであるが、昔の人の信仰心には頭が下がる。
御朱印については、朱印帳にいただくもののほか、菖蒲とお犬様の特別な台紙に書かれた書き置きのものがある。
三輪鳥居 随神門
三輪鳥居 随神門
日本武尊の銅像 国常立神社
日本武尊の銅像 国常立神社
祖霊社 境内社
祖霊社 境内社
本殿 遙拝殿より妙法ヶ岳の奥宮を望む
本殿 遙拝殿より妙法ヶ岳の奥宮を望む
三峯神社の御朱印

左は朱印帳にいただいたもの。中央の朱印は「三峰神社」、右上は「奥秩父三峰山」、左下は「弎峰山」。中央と右は専用の紙に書かれた書き置きのもので、中央が菖蒲、右が御眷属のお犬様。中央の朱印はどちらも「三峰神社」。

もどる


2012.02.22
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.