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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

島穴神社
しまあなじんじゃ

島穴神社拝殿

島穴神社 (しまあなじんじゃ)
御祭神 支那都比古尊〔しなつひこのみこと〕
倭比売尊〔やまとひめのみこと〕
〈配祀〉
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
鎮座地 千葉県市原市島野1129、1130 (地図表示:マピオン)
創建年代 伝・景行天皇40年(110)
社格等 式内社 旧県社
由緒 日本武尊の東征の時、走水〔はしりみず〕の海(浦賀水道)を渡ろうとすると、海神が暴風雨を起こし、船が進めなくなった。尊の妃である弟橘姫命〔おとたちばなひめのみこと〕が海中に身を投じ、海神の心を宥めたことにより、無事に海を渡ることができた。景行天皇40年(110)のことという。
社伝によれば、弟橘姫は風鎮めの神である大和の龍田大社を遙拝し、無事に海を渡ることができたならば、その地に龍田の神を祀ることを誓って身を投じた。上総に上陸した日本武尊は、弟橘姫の遺志を受けてこの地に支那都比古尊を祀った。これが当社の創祀とされる。
その後、景行天皇57年、天皇が東国を行幸された際、日本武尊と倭比売尊を合祀されたと伝えられる。
同市姉崎の姉埼神社も同じ由緒を持っており、当社の御祭神と姉埼神社の御祭神・支那斗弁命〔しなのとべのみこと〕は夫婦神とされる。因みに、龍田大社の御祭神は天御柱命〔あめのみはしらのみこと〕・国御柱命〔くにのみはしらのみこと〕であるが、風鎮めの神として名高く、天御柱神を級長津彦命〔しなつひこのみこと〕、国御柱命を級長戸辺命〔しなのとべのみこと〕とする伝がある。
天慶8年(884)神階正五位上勲五等を賜り、延喜の制では小社に列する。
例祭 7月20日
神事・行事 3月春分/種挽祭
4月15日/種播祭
5月15日に近い日曜日/御田植祭
6月1日/御田植報告祭
9月15日に近い日曜日/抜穂祭
メモ 内房線五井駅から姉ヶ崎駅に向かう途中、左手の田んぼの中に島穴神社の社叢が見える。
参拝は姉埼神社の後、白塚のバス停までバスに乗り、そこから10分ほど歩く。バスの本数が少ないので確認が肝要。
川を渡って境内に進むと、木々に囲まれた広場のようになっている。遠くから見た印象よりは明るい境内。周囲には境内社が散在している。浅間神社(富士山)もあるのだが、むしろ三山供養碑があることに興味を持った。こんな所まで出羽三山信仰が及んでいたとは。
御朱印拝受については、念のため、事前に宮司さんと連絡を取り、時間を確認して向かったのだが、それが正解であったようだ。周囲は田んぼばかりで家は見当たらず、宮司さんは拝殿で待っていた。連絡していなければ途方に暮れたことだろう。交通の便のいいところではないので、精神的ダメージも大きかったのではないかと思われる。
参道 疱瘡神社
参道 疱瘡神社
三山供養塚(出羽三山) 本殿
三山供養塚(出羽三山) 本殿
島穴神社御朱印

右の朱印は「上総国市原郡島野鎮座」、中央は「延喜式内社 旧県社」、「島穴神社」。

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2009.02.01
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