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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

川勾神社
かわわじんじゃ

川勾神社境内

川勾神社 (かわわじんじゃ)
御祭神 大己貴命〔おおなむちのみこと〕
大物忌命〔おおものいみのみこと〕
級津彦命〔しなつひこのみこと〕
級津姫命〔しなつひめのみこと〕
衣通姫命〔そとおりひめのみこと〕
旧称 二宮大明神 二宮明神社 河勾大明神
鎮座地 神奈川県中郡二宮町山西2122 (地図表示:マピオン)
創建年代 伝・垂仁天皇の御代(B.C.29〜A.D.70)
社格等 式内社 旧郷社 相模国二宮
由緒 相模国二宮。社伝によれば、垂仁天皇の御代(紀元前29〜紀元後70)、阿屋葉造〔あやはのみやつこ〕が勅命を奉じて創建したという。
当時、小田原市国府津から中郡大磯町にかけての海岸は磯長国〔しながのくに〕といい、川勾神社はその第一の社であったとされる。大化の改新の後、磯長国は相武国〔さがむのくに〕と合わせて相模国となるが、その際、一の宮の座を寒川神社と争った名残が、5月5日、大磯町国府本郷の神揃山〔かみそりやま〕で行われる国府祭〔こくふさい・こうのまち〕の「座問答〔ざもんどう〕」だとされる。
「座問答」は寒川神社と川勾神社の宮司が互いに虎の皮の敷物(神座を表す)を上位に進めて互いに譲らない。そこで三の宮である比々多神社の宮司が「いずれ明年まで(この決着は来年に)」と仲裁して収まるという行事である。
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕は東征の折に奉幣され、允恭天皇の皇妃・衣通姫命〔そとおりひめのみこと〕は皇子御誕生安穏のために奉幣祈願されたと伝えられる。
建久3年(1192)源頼朝は夫人・政子の安産祈願のために神馬を奉納。建長4年(1252)宗尊親王〔むねたかしんのう〕が鎌倉に下向し、将軍となった際にも奉幣、神馬の奉納があった。徳川家康は朱印地50石を寄進した。
明治6年(1873)郷社に列格、昭和7年(1932)県社昇格の内示を受けたが、戦争等で社頭の整備が間に合わず、終戦を迎えた。現在の社殿はそのような困難の中で昭和26年(1951)に完成したものである。
例祭 10月10日(みそぎ祭)
神事・行事 1月15日/御筒粥神事
5月5日/国府祭(中郡大磯町国府本郷)
文化財 〈県無形民俗文化財〉(国府祭)
メモ 公共交通機関を使う場合、東海道本線平塚駅もしくは二宮駅から国府津方面行きのバスに乗り、押切坂上バス停から徒歩で10分ほど。鳥居をくぐり、石段を上ると、珍しい茅葺きの随身門がある。
ひなびた雰囲気の境内だが、社殿は立派なもの。日曜日ということもあってか、車払いや初宮参りの参詣者が訪れ、今も地元の人々から篤く敬われている様子を感じた。
鳥居 随神門
鳥居 随神門
手水舎 神楽殿
手水舎 神楽殿
境内社 拝殿
境内社 拝殿
川勾神社の御朱印

中央の朱印は「相模国二宮 延喜式内 川勾神社」。

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2007.03.25
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