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諸国神社御朱印集

若狭姫神社
わかさひめじんじゃ
(若狭彦神社下社)

若狭姫神社

若狭彦神社下社 (わかさひこじんじゃ しもしゃ)
御祭神 若狭姫大神(豊玉姫命)
鎮座地 福井県小浜市遠敷65−41 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) 若狭国二宮(一宮) 旧国幣中社 別表神社

若狭姫神社の御由緒

若狭彦神社は上社と下社からなり、古来、上社を若狭彦神社・若狭国鎮守一宮、下社を若狭姫神社・若狭国鎮守二宮、または遠敷明神と称える。延喜式神名帳には「若狭比古神社二坐 名神大」とある。若狭国の一宮は上社で、二宮が下社だが、両方を合わせて一宮ともされる。

遠敷川を遡ると鵜の瀬という淵がある。社伝によれば、和銅7年この地に若狭彦神と若狭姫神が降臨されたので、仮殿を営んで奉斎した。そして翌霊亀元年(715)若狭彦神が龍前の現社地に遷座され、さらに6年後の養老5年(721)2月10日、若狭姫神が遠敷の現社地に遷座されたという。

かつて、例祭は若狭姫神が鎮座された2月10日に行われていたが、明治に太陽暦が導入された際、1ヶ月遅れの3月10日に行われるようになった。

また、鵜の瀬は奈良・東大寺の若狭井に通じているとされ、お水送りの行事が行われることでも有名である。

伝承によれば、天平勝宝3年(751)東大寺の実忠和尚は、笠置の山中より兜率天の内院に至り、そこで天人たちが十一面悔過の行法を行っているのを見た。天人の許しを得て、この行法を地上に伝えたのが東大寺の修二会とされる。

翌4年(752)、実忠はこの法会を行うにあたり、日本国中の神々を勧請した。しかし遠敷明神だけは川で魚を捕っていたため、遅れてしまった。そこで遠敷明神はお詫びとして、御本尊に供える香水を若狭から贈ることを約束した。すると、岩から黒と白の鵜が飛び出し、そこから水が湧き出した。これが東大寺二月堂の若狭井である。

この約束により、東大寺のお水取りに先立って、鵜の瀬でお水送りの行事が行われる。3月2日に鵜の瀬から送られた水は、10日かけて若狭井へとどき、3月12日にお水取りが行われるのである。現在、お水送りは旧別当の神宮寺の行事となっている。

古来、朝廷の崇敬篤く、神護景雲4年(770)には伊勢朝臣諸人が遣わされて鹿毛の馬が奉納され、大同元年(806)には神封10戸を賜っている。貞観元年(859)には若狭比咩神に従二位が贈られている(若狭彦神は正二位)。また、一代一度の大神宝使にも預かっている。武門においても歴代守護・小浜藩主による社領の寄進などたびたびであった。

鎌倉時代から室町時代の初め頃までは上社(若狭彦神社)が祭祀の中心であったが、室町時代末期頃には下社(若狭姫神社)が中心となり、主な祭祀も下社で行われるようになったという。

若狭姫神社の御朱印

若狭姫神社の御朱印

中央の御朱印は「若狭姫神社印」、右上は「遠敷明神」

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若狭姫神社の概要

名称 若狭彦神社下社
通称・旧称 若狭姫神社 遠敷神社 遠敷明神
御祭神 若狭姫大神(豊玉姫命)〔わかさひめのおおかみ(とよたまひめのみこと)〕
鎮座地 福井県小浜市遠敷65−41
創建年代 養老5年(721)
社格等 式内社(名神大) 若狭国二宮(一宮) 旧国幣中社 別表神社
延喜式 若狭國遠敷郡 若狭比古神社二座 名神大
例祭 3月10日
神事・行事 1月15日/火焚神事
3月10日/御帰神事
5月下旬日曜/神輿神事
8月8日/八重多多美講社祭
文化財 〈重文〉太刀(銘:宗□/伝・宗近) 詔戸次第 〈県有形文化財〉本殿・神門・随神門及び社叢
前景 随神門
前景 随神門
子種石 遠敷大明神霊水(桂の井)
子種石 遠敷大明神霊水(桂の井)
招霊の木 本殿
招霊の木 本殿

【メモ】
道路脇を清冽な水の流れる小川があり、橋を渡ると境内である。上社(若狭彦神社)が緑に包まれたという印象であるのに対し、下社(若狭姫神社)は緑を背負っているという感じ。背後の社叢は県の天然記念物である。随神門と社殿の間の広場は、昭和20年(1945)の雪害で倒壊した拝殿の跡とのこと。
境内には、祈れば子宝に恵まれるという子種石、病気平癒・茶道・書道の上達さらに若返りの霊験があるという桂の井、祈れば母乳を豊かに授かるという乳の木(銀杏)、瑞籬内にそびえ立つ千年杉、市の天然記念物の招霊の木など、見るべきものが多い。
東小浜駅からほど近いのだが、駅でレンタサイクルを借り、鵜の瀬から下りながら社寺を参拝。当初の予定では若狭姫神社を締めくくりにして電車に乗るつもりであった。ところが宮司さんが不在で、電話で連絡を取ると、所用のため、夕方まで帰らないとのこと。そう簡単に行けるところではないため、やむなく電車を一つ遅らせることとし、空いた時間で当初の予定には入れていなかった若狭国分寺を参拝した。無事に若狭彦・若狭姫神社の御朱印も拝受できたのだが、ちょっとばかり焦った参拝であった。

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2009.08.19
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