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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

南宮大社
なんぐうたいしゃ

南宮大社

南宮大社 (なんぐうたいしゃ)
御祭神 金山彦命 〈配祀〉見野命 彦火火出見命
鎮座地 岐阜県不破郡垂井町宮代1734−1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) 旧国幣大社 美濃国一宮 別表神社
公式サイト http://www.nangu-san.com/

南宮大社の御由緒

社伝によれば、神武天皇東征の際、金山彦命が金鵄を輔けて霊験を顕したことから府中(垂井町府中)の地に奉斎されたことに始まるとされる。

崇神天皇5年(B.C>93)仲山(南宮山)山麓の現社地に遷座した。延喜式神名帳などには「仲山金山彦神社」と記されているが、後世、国府の南に鎮座することから「南宮」と称されるようになったという。

古くより朝廷・武門の崇敬篤く、天平神護元年(765)には神封1戸が寄せられ、承和13年(846)には正五位下に叙せられた。貞観15年(870)には正二位に進められた。延喜の制では名神大社に列する。天慶3年(940)朝敵退散の勅祷により勲一等を受け、南宮十坊が設置された。康平年間(1085〜65)には安倍貞任・宗任追討の神験により正一位に極位する。中世においては美濃国一宮とされ、源氏・北条氏・土岐氏などの崇敬を受けた。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの兵火により社殿・宝物・文書等を焼失する。その後、南宮権現執行・利生院永純や西美濃に縁深い春日局などの願いを聞き入れ、寛永19年(1642)徳川家光によって社殿が再興され、朱印領405石が寄せられた。和様と唐様が混在した独特の様式で、「南宮造り」と称される。この時の造営については624冊の造営文書が残されており、社殿等18棟とともに重要文化財に指定されている。

明治の神仏分離により、境内の寺院を南宮十坊の一・真禅院に統合し、三重塔・本地堂などの仏殿を移築した。明治4年(1871)国幣中社に列格、大正14年(1925)国幣大社に昇格した。戦後、南宮大社と改称する。

南宮大社の御朱印

南宮大社の御朱印

中央の朱印は「南宮大社」、右は「美濃国一宮」。

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南宮大社の概要

名称 南宮大社
旧称 仲山金山彦神社 南宮神社
御祭神 金山彦命〔かなやまひこのみこと〕
〈配祀〉
見野命〔みののみこと〕
彦火火出見命〔ひこほほでみのみこと〕
鎮座地 岐阜県不破郡垂井町宮代1734−1
創建年代 伝・神武天皇即位元年(B.C.660)
社格等 式内社 旧国幣大社 美濃国一宮 別表神社
延喜式 美濃國不破郡 仲山金山彦神社 名神大
例祭 5月5日(神幸式・蛇山神事)
神事・行事 2月節分/節分祭(大的神事)
4月15日/奥宮高山神社例祭(椿祭)
5月4日/御田植祭
6月30日/大祓式
11月8日/金山祭(鞴祭)
文化財 〈重文〉本殿・幣殿・拝殿・回廊(二棟)・勅使殿・高舞殿・楼門・神輿舎・神官廊・輪橋・下向橋・石鳥居・摂社樹下神社本殿・摂社高山神社本殿・摂社隼人神社本殿・摂社南大神神社本殿・摂社七王子神社本殿(附:棟札三枚、附:造営文書623冊) 太刀(銘:三条) 〈重要無形民俗文化財〉神事芸能 〈県重要文化財〉紅糸中白威胴丸 刀剣 〈県史跡〉経塚群(附:出土品一括)
南宮山 大鳥居
南宮山 大鳥居
数立神社 石橋と楼門
数立神社 石橋と楼門
拝殿 本殿
拝殿 本殿
南天竺の鉄塔 往古本殿奉斎地・伊勢両宮
南天竺の鉄塔 往古本殿奉斎地・伊勢両宮

メモ
参拝はお盆の帰省途中、きれいに晴れた日のお昼時。広い境内を歩き回って、暑かったという印象が強く残っている。鮮やかな朱色が印象的な楼門から回廊・拝殿・幣殿のにかけての空間と、南天竺の鉄塔や摂末社が点在する鬱蒼とした鎮守の森の対比も見事である。
西へ1kmほど行くと、旧神宮寺の法灯を継承する朝倉山真禅院がある。神仏分離の際に南宮大社から移築された三重塔・本地堂・梵鐘などがあり、国の重要文化財に指定されている。途中には関ヶ原合戦の際の吉川広家の陣の跡などもある。

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2011.07.20
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