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諸国神社御朱印集

久能山東照宮
くのうざん とうしょうぐう

久能山東照宮

久能山東照宮 (くのうざん とうしょうぐう)
御祭神 徳川家康公 〈相殿〉豊臣秀吉公 織田信長公
鎮座地 静岡市駿河区根古屋390 (Mapion/googlemap
社格等 旧別格官幣社 別表神社
公式サイト http://www.toshogu.or.jp/

久能山東照宮の御由緒

元和2年(1616)4月2日、駿府城で病の床にあった徳川家康は本多正純と南光坊天海、金地院崇伝を呼び、自分の死後、遺骸は久能山に埋葬し、葬儀は増上寺で行い、位牌は三河の大樹寺に立て、一周忌の後、日光山に小さな堂を建てて勧請し、八州の鎮守となるという遺言を残した。

同月17日、家康が75歳で薨去。2代将軍秀忠は家康の遺命に従い、その日のうちに遺骸を久能山に移した。同年5月、中井正清を棟梁として社殿の造営が始まり、1年7ヶ月をかけて完成した。

翌元和3年(1617)2月、朝廷より「東照大権現」の神号が宣下された。同年3月15日、家康の神柩が日光に向けて出発、4月17日に正遷宮が行われた。一般にはこの時に家康の遺骸が改葬されたと考えられているが、神霊を勧請しただけで遺骸は久能山に残されているとする説もある。

寛永年間(1624〜45)3代将軍家光の命により境内の整備が行われ、楼門、薬師堂(現・日枝神社)、鐘楼(現・鼓楼)、五重塔(神仏分離の際に破却)、薬師堂(現・日枝神社)などが造営され、神廟が小さな祠から現在の石塔に改められた。

正保2年(1645)宮号宣下により東照社から東照宮となった。

明治6年(1873)県社に列格、同21年(1888)別格官幣社に昇格。昭和21年(1946)社名を久能山東照宮に改称した。

平成22年(2010)社殿(本殿・石の間・拝殿)が国宝に指定された。

久能山東照宮の御朱印

久能山東照宮の御朱印

揮毫は「奉拝 駿河国」「久能山東照宮」。中央の朱印は「久能山東照宮」、右下は「駿河国久能山」。

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久能山東照宮の概要

名称 久能山東照宮 
御祭神 徳川家康公〔とくがわいえやすこう〕
〈相殿〉
豊臣秀吉公〔とよとみひでよしこう〕
織田信長公〔おだのぶながこう〕
鎮座地 静岡市駿河区根古屋390
創建年代 元和2年12月(1617年1月)
社格等 別格官幣社 別表神社
例祭 4月17日
神事・行事 1月11日/御鏡開祭
2月3日/古儀節分祭
2月16日/御具足祭
2月17日/春季大祭
10月17日/秋季大祭
12月26日/誕辰祭
文化財 〈国宝〉本殿・石の間・拝殿(附:安鎮法供養具11組、本殿釣燈籠4箇、拝殿釣燈籠2箇) 太刀(銘:真恒) 〈重要文化財〉社殿〔唐門、東門、廟門、玉垣、渡廊、廟所宝塔、末社日枝神社本殿(附:釣燈籠2箇)、神庫、神楽殿、神饌所、鼓楼、神厩、楼門〕(附:廟所参道、銅燈籠2基、手水鉢石1口、棟札10枚) 革柄蝋色鞘刀(無銘(伝三池光世作)附:蒔絵刀箱) 太刀(銘:雲次 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:国宗 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:守家 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:安則 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:国行 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:国行 附:糸巻太刀拵) 脇差(無銘(伝貞宗) 附:黒鮫柄合口拵) 太刀(銘:正恒 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:国宗 附:糸巻太刀拵) 脇差(無銘(伝相州行光作) 附:黒鮫柄黒漆鞘小サ刀) 太刀(銘:末守 附:糸巻太刀拵) 太刀(銘:高(以下不明) 附:糸巻太刀拵) 伊予札黒糸威胴丸具足(附:具足櫃) 金溜塗具足・白檀塗具足(附:具足櫃2領) 徳川家康関係資料(73種一括) 〈史跡〉久能山
一の鳥居 麓からの遠景
一の鳥居 麓からの遠景
表参道石段 楼門
表参道石段 楼門
鼓楼 神楽殿
鼓楼 神楽殿
神庫 日枝神社
神庫 日枝神社
社殿 神廟
社殿 神廟

メモ
日本平からロープウェイがあるが、駿河湾に面した表参道を登って参拝することに。麓の鳥居からの石段は1156段で、「いちいちご苦労さん」と呼ばれるそうだ。つづら折りの参道を登っていくと、一の門の手前で森を抜け、眼下に見事な眺望が広がる。
さらに登って楼門をくぐると、国宝(参拝時はまだ重要文化財)の御社殿を中心に神楽殿や鼓楼、神庫、末社日枝神社などが建ち並ぶ。さらに奥へ進むと、徳川家康の遺骸が埋葬された神廟がある。高さ5.5mの石塔で、家康の遺命により、西向きに建てられている。

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2016.02.28
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