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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

小國神社
おぐにじんじゃ

小國神社拝殿

小國神社 (おぐにじんじゃ)
御祭神 大己貴命
鎮座地 静岡県周智郡森町一宮3956-1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社 旧国幣小社 遠江国一宮 別表神社
公式サイト http://www.okunijinja.or.jp/

小國神社の御由緒

「小国」というのは、出雲の大本宮に対する遠江の美称であるという。また、古くは許当麻知〔ことまち〕神社(願い事を待つの意)、事任〔ことのまま〕神社(願い事のままに叶うという意)とも称されたという。

創建については不祥だが、社記によれば、欽明天皇16年(555)2月18日、本宮山の頂上に鎮斎され、その後、現社地に社殿が造営されたとされる。以来、朝廷より勅使が送られ、大宝元年(701)の奉幣の際には十二段の舞楽が奉奏されたという。

文献上に初めて現れるのは承和7年(840)で、『続日本後紀』6月24日条に周智郡の小国天神と磐田郡の矢奈比売天神に従五位下が授けられたとある。延喜の制では小社に列している。

元亀3年(1572)一宮荘の代官であった武藤刑部丞氏定が武田信玄と結び、甲斐の兵を招き入れて小国神社に立て籠もった。しかし、神主の小国豊前重勝は武田方につくことを拒み、徳川方についた。徳川家康は小国重勝に命じて御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉納して戦勝を祈願した後、社殿に火を放たせしめた。そして天正3年(1575)武田軍に勝利すると、社殿を再建し、御神霊を復座した。

このことにより、徳川氏は小国神社を篤く崇敬し、家康は朱印領590石を寄進している。また、以後も徳川将軍家により社殿の改造・修復が行われた。

明治6年(1873)国幣小社に昇格。明治15年(1882)火災により社殿が全焼。同19年(1886)再建された。

小國神社の御朱印

小國神社の御朱印

朱印は「小國神社」、右上に「遠江国一宮」。

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小國神社の概要

名称 小國神社 
旧称 一宮神社
御祭神 大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 静岡県周智郡森町一宮3956-1
創建年代 不詳
社格等 式内社 旧国幣小社 遠江国一宮 別表神社
延喜式 遠江國周智郡 小國神社
例祭 4月18日
※4月18日に近い土・日曜日/十二段舞楽奉奏・神幸祭・巫女舞奉納
神事・行事 1月3日/田遊祭
1月11日/手釿始祭
小正月後の日曜日/どんど焼祭
1月17日/御弓始祭
寒中丑の日/寒の丑の日水汲祭
寒明け後の甲子の日/初甲子祭
4月15日/垢籬祭・舞揃
6月第1日曜日/花菖蒲まつり
夏至の日/御田植祭
11月18日/稲祭
11月下旬/紅葉祭.甲子講秋季大祭
文化財 〈重要無形民俗文化財〉十二段舞楽 〈選択無形文化財〉田遊び
一の鳥居 勅使参道跡
一の鳥居 勅使参道跡
宗像社 事待池と八王子社
宗像社 事待池と八王子社
全国一宮等合殿社 家康公立上がりの石
全国一宮等合殿社 家康公立上がり石

メモ
公共交通機関はあまり便利ではないが、日曜日には天竜浜名湖鉄道の遠江一宮駅から送迎マイクロバスが出る。
遠江の一宮制については、一宮・小国神社、二宮・鹿苑神社(磐田市)とする説と、一宮・事任八幡宮(掛川市)、二宮・二宮神社(湖西市新居町)とする説がある。一宮・二宮に論社があるのはよくあるが、セットで異説があるのは珍しい。これは、国レベルでの祭祀体制を変革しようという動きがあったためといわれ、その背後には神祇管領・吉田家があったともいわれる。
参道脇に勅使参道跡という細い道がある。これは、かつて勅使が使った道だという。また、事待池〔ことまちいけ〕は、当社で願掛けをして心願成就すれば鯉を放っていたという。また、この池の水をいぼにつけると、いぼがとれるとされることから「いぼとり池」ともいわれるという。

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2010.07.28
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