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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

尾張大國靈神社
おわりおおくにたまじんじゃ
(国府宮)

尾張大国霊神社

尾張大国霊神社 (おわりおおくにたまじんじゃ)
御祭神 尾張大国霊神 〈配祀〉伊弉冉尊 天照大御神 素盞嗚尊 奇稲田姫命 活玉依姫 手摩乳 足摩乳
鎮座地 愛知県稲沢市国府宮1-1-1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社 旧国幣小社 尾張国総社 別表神社
公式サイト http://www.konomiya.or.jp/

尾張大国霊神社の御由緒

国府宮(こうのみや)の通称で知られる。最寄り駅も名鉄の国府宮駅。

創祀は不詳だが、本殿脇に磐境があることからも、極めて古くより鎮座していたものと考えられる。祭神の尾張大国霊神は尾張の国霊神(国土の神霊)である。後世、大国主命と同一視され、祭神を大国主命としていたが、昭和15年(1940)に国幣小社に昇格した際、本来の尾張大国霊神に改められた。

宝亀2年(771)には従四国衙に隣接し、また国霊神を祀ることから尾張の総社とされ、また国府宮の通称で呼ばれるようになった。別宮の大御霊神社と宗形神社はともに式内社であり、本宮と合わせて国府宮三社と称される。位下を奉授され、仁寿3年には大御霊神社・宗形神社とともに官社に列する(宗形神社については憶感神と記載)。延喜の制では三社ともに小社に列する。建仁元年(1201)には正一位に極位。因みに、文治2年(1186)には大御霊神社が従一位、宗形神社が従二位に進んでいる。

また武門の崇敬も極めて篤く、織田信長は社殿を修理し、豊臣秀吉は社領105石を寄進している。また、尾張藩の初代藩主・徳川義直は社領150石を寄進し、歴代藩主も社殿の造営などを行った。

明治5年(1872)郷社に列格、同9年(1876)県社、さらに昭和15年(1940)国幣小社に昇格した。

社殿は尾張造で、楼門と拝殿が重要文化財に指定されている。楼門は室町時代初期の建立だが、正保3年(1646)の解体大修理の際に上層が改造されているという。拝殿は江戸時代初期の建立である。

旧正月13日に行われる「儺追神事」は「国府宮のはだか祭」として名高い。神護景雲元年(767)称徳天皇の勅命により、全国の国分寺で悪疫退散の祈祷が行われたとき、尾張の国司が当社においても祈願したことに始まると伝えられる。一宮・真清田神社、二宮・大縣神社、三宮・熱田神宮、総社・尾張大国霊神社の神を招き、あらゆる罪・穢れを搗き込んだとされる土餅と人型を儺負人(神男)に背負わせ、境外へ追放して、土餅を土中に埋めることにより、罪穢悪鬼を土に還す。この儺負人(神男)に触れると厄を祓うことができるとされ、集まった男衆が神男に触れようとしてもみ合うのが儺追神事(はだか祭)である。

尾張大国霊神社の御朱印

尾張大国霊神社の御朱印

墨書は「尾張総社 国府宮」。朱印は「尾張大國靈神社」。

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尾張大国霊神社の概要

名称 尾張大国霊神社
通称 国府宮
御祭神 尾張大国霊神〔おわりおおくにたまのかみ〕
〈配祀〉
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕
素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
奇稲田姫命〔くしなだひめのみこと〕
活玉依姫〔いくたまよりひめ〕
手摩乳〔てなづち〕
足摩乳〔あしなづち〕
鎮座地 愛知県稲沢市国府宮一丁目1−1
創建年代 不詳
社格等 式内社 旧国幣小社 尾張国総社 別表神社
延喜式 尾張國中嶋郡 尾張大國靈神社
尾張國中嶋郡 宗形神社 (別宮・宗形神社)
尾張國中嶋郡 大御靈神社 (別宮・大御霊神社)
例祭 5月6日(梅酒盛神事)
神事・行事 1月4〜7日/新穀感謝祭並太々講社祭・氏子まつり
1月23日/大鏡餅講祭
旧1月2日/儺追神事(はだか祭)
4月22日/豊穣祈願祭並国府講社祭
6月第4日曜日/御田植祭
7月31日/除疫祭
11月1日/秋季大祭
11月1〜3日/御寿々祭
文化財 〈重文〉楼門 拝殿
一の鳥居 神橋
二の鳥居 神橋
別宮・宗形神社 別宮・大御霊神社
別宮・宗形神社 別宮・大御霊神社
楼門 境内社
楼門 境内社
拝殿 本殿
拝殿 本殿

メモ
稲沢市出身の知人に「尾張大国霊神社」と言うと、怪訝な顔をされた。地元では専ら「国府宮」の名で認識されているようである。
楼門から400mほど南に大きな鳥居があり、広い参道で結ばれているのだが、この鳥居は二の鳥居で、さらに500mほど南に一の鳥居があるらしい。二の鳥居から楼門へ三分の二ほど進んだ交差点を西に入ると、別宮の大御霊神社が鎮座する。本社から見て南西に当たる。また、本社境内の東側には同じく別宮の宗形神社がある。
手入れの行き届いた境内に重厚な尾張造りの社殿が建つ。御朱印を拝受したのは三月の平日の午前中。その後、写真を撮り直すため、同じく三月の朝にも参拝をしたのだが、参拝客が次々訪れる。街中ということもあるのだろうが、朝早くから地元の人々が参拝しているようで、地元に密着した神社という印象を受けた。

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2011.08.31
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