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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

日牟禮八幡宮
ひむれはちまんぐう

日牟礼八幡宮拝殿

日牟礼八幡宮 (ひむれはちまんぐう)
御祭神 誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕
気長足姫尊〔おきながたらしひめのみこと〕
比売神〔ひめがみ〕
旧称・通称 日触(ひふれ)八幡宮 火振(ひふれ)八幡宮
鎮座地 滋賀県近江八幡市宮内町257 (Mapion/googlemap
創建年代 成務天皇元年(131)
社格等 旧県社 一国一社八幡宮 別表神社
由緒 社伝によれば、成務天皇が即位の折、武内宿禰に命じて大嶋大神を祀ったことに始まると伝えられる(これは地主神の摂社・大嶋神社のこととされるが、市内北津田町に鎮座する式内社・大嶋神社奥津嶋神社も同様の由緒を伝える)。
応神天皇6年(257)、天皇が近江国に行幸して奥津嶋神社に参詣し、還幸の際に宇津野々辺に御座所を設けて休憩した。後年、その御仮屋跡に日輪の形を二つ見るという奇瑞があったことから、祠を設けて「日群之社八幡宮」と称したと伝えられる。持統天皇5年(691)藤原不比等が参拝し、和歌を詠んだことから「比牟礼社」に改めたという。
正暦2年(991)一条天皇の勅願により法華峰(八幡山)に宇佐八幡宮の御分霊を勧請し(上の八幡宮)、さらに寛弘2年(1005)麓に遙拝の社を建立した(下の社)。
以来、皇室・武門の崇敬篤く、弘安4年(1281)蒙古襲来に際して奉幣があった。近江国守護の佐々木氏をはじめ、足利将軍家も深く尊崇したという。
天正18年(1590)豊臣秀次は法華峰に八幡城を築くため、上の八幡宮を下の社に合祀した。替地として日杉山に遷座する予定であったが、文禄4年(1595)秀次が自害したため、日杉山の社殿は建造されなかった。
慶長5年(1600)徳川家康が参詣し、神領50石を寄進。徳川家光・家綱の朱印状も残されている。また、近江八幡は近江商人の町として栄え、日牟礼八幡宮はその守護神として崇敬された。
日牟礼八幡宮には4月の例祭(八幡祭・松明祭)と3月の左義長祭の二大火祭りがあり、「近江の火まつり」として国選択重要無形文化財に指定されている。松明祭は山根十二郷の氏子による奉納行事である。左義長祭は、八幡開町により安土から移住してきた人々によって始められたもので、旧城下町六十六ヶ町の氏子によって奉納される。その起源は安土の城下町に遡り、織田信長も自ら踊り出たと伝えられている。
例祭 4月15日(八幡祭)
・4月14日/宵宮祭(松明まつり)
・4月15日/本祭(太鼓まつり)
・4月16日/間日(すでら渡り)
神事・行事等 1月2日/初湯神楽
1月3日/元始御田祭
2月3日/節分厄除祭(古伝星祭・厄除祈祷)
2月8日/針まつり
3月14・15日に近い土・日曜日/左義長祭
春/さつき奉納展
5月中旬/十三佛祭
7月13・14日/祇園祭
8月5日/夏祭
8月15・16日/萬燈祭
11月1日/秋大祭
秋/大菊花奉納展
11月23日/新嘗祭・八幡山不動大祭
文化財 〈重文〉安南渡海船額 木造誉田別尊坐像・木造比売神坐像・木造息長足姫尊坐像 木造男神坐像  〈国選択重要無形民俗文化財〉近江の火まつり 〈県選択無形民俗文化財〉火まつり(左義長) 火まつり(松明祭)
巡拝等 神仏霊場142番
公式サイト http://www5d.biglobe.ne.jp/~him8man/
メモ 参拝は晴天に恵まれた体育の日。日牟礼八幡宮の傍には八幡山ロープウェイの乗り場があり、一帯が行楽地になっているようで、境内は参拝者(行楽客?)であふれていた。上の拝殿の写真には人が写っていないが、よくそんな写真が撮れたと自分でも驚いたぐらいである。
当社の由緒については、大嶋奥津嶋神社との関係で検討する必要があると思われる。
大鳥居 楼門
大鳥居 楼門
能舞台 常磐社・天満宮・宮比社
能舞台 常磐社・天満宮・宮比社
岩戸神社 大島神社
岩戸神社 大島神社
幣殿 本殿
幣殿 本殿
日牟礼八幡宮の御朱印

中央の朱印は「日牟礼八幡宮」。

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2011.07.27
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