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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

建部大社
たけべたいしゃ

建部大社拝殿

建部大社 (たけべたいしゃ)
御祭神 〈本殿〉日本武尊 〈相殿〉天照皇大神 〈権殿〉大己貴命
鎮座地 滋賀県大津市神領1-16-1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) 旧官幣大社 近江国一宮 別表神社
公式サイト http://takebetaisha.jp/

建部大社の御由緒

景行天皇43年(113)日本武尊は東国征討からの帰途、伊勢の能褒野〔のぼの〕において薨去した。景行天皇はこれを嘆き、御名代〔みなしろ〕として建部〔たけべ〕を定めた。
景行天皇46年(116)神勅により、近江安国造〔おうみのやすのくにのみやつこ〕の娘で日本武尊の妃の布多遅比売〔ふたじひめ〕とその御子・稲依別王〔いなよりわけのみこ〕が神崎郡建部郷に尊の神霊を祀ったのが、建部大社の創祀とされる。

天武天皇の御代、勅により建部連安麿〔たけべのむらじやすまろ〕が瀬田郷大野山に遷祀し、さらに天平勝宝7年(755)建部公尹賀麿〔たけべのきみいがまろ〕が勅によって現社地に遷した。このとき、大和の三輪山より大己貴命を勧請し、権殿に祀ったという。貞観2年(860)官社に列し、延喜式神名帳では名神大社。近江国一宮として朝廷・武門の崇敬篤く、たびたび神領を寄進された。

永暦元年(1160)源頼朝は伊豆に配流される途次、建部大明神に参籠して源氏再興を祈願した。建久元年(1190)宿願成就した源頼朝は、上洛に際して再び参詣し、奉賽として神宝や神領300戸を寄進している。以来、出世開運・武運の神として広く崇められるようになった。しかし、交通の要衝にあったことから兵火にかかることもたびたびであった。

江戸時代には膳所藩主の戸田氏・本多氏の崇敬を受ける。明治4年(1871)県社に列格、同18年(1885)官幣中社、さらに同33年(1900)官幣大社に昇格した。戦後、社号を建部大社と改称した。

建部大社の御朱印

建部大社の御朱印

中央の墨書と朱印は「建部大社」、右上の朱印は「近江国一之宮」。

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建部大社の概要

名称 建部大社
旧称 建部神社 建部大明神
御祭神 〈本殿〉
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
〈相殿〉
天照大皇神〔あまてらすおおみかみ〕
※一説には天明玉命〔あめのあかるたまのみこと〕
〈権殿〉
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
旧称 建部神社 建部大明神
鎮座地 滋賀県大津市神領一丁目16-1
創建年代 伝・景行天皇46年(116)
社格等 式内社 旧官幣大社 近江国一宮 別表神社
延喜式 近江國栗太郡 建部神社 名神大
例祭 4月15日
神事・行事 2月4日/護国祭(弓の神事)
6月15日/挿秧祭(田植えの神事)
8月16日/宵宮祭
8月17日/納涼船幸祭
10月12日/早穀祭(抜穂の神事)
11月26日/鎮火祭
文化財 〈重文〉木造女神坐像1躯・附小女神坐像2躯 石灯籠
巡拝等 神仏霊場145番
参道と鳥居 神門
参道と鳥居 神門
本殿と権殿 境内社
本殿と権殿 境内社

メモ
瀬田の唐橋から東へ約500mのところに鎮座する。松並木の参道と広い境内は清々しい印象。
本殿に相殿として祀られる神は、神社の由緒書や『平成「祭」データ』なのでは天照皇大神となっているが、諸資料では天明玉命とするものが多い。天明玉命は玉造部の祖・玉祖命と同一とされる神。

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2007.07.22
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