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諸国神社御朱印集

生国魂神社
いくくにたまじんじゃ

生国魂神社

生国魂神社 (いくくにたまじんじゃ)
御祭神 生島大神 足島大神 〈配祀〉大物主大神
鎮座地 大阪市天王寺区生玉町13−9 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大・月次相嘗新嘗) 旧官幣大社 別表神社
公式サイト http://ikutamajinja.jp/

生國魂神社の御由緒

御祭神の生島神・足島神は大八洲〔おおやしま〕の神霊すなわち日本の国土の国魂神で、八十島神と称される。宮中においても生島巫〔いくしまのみかんなぎ〕によって祀られ、天皇即位に際しては難波津で八十嶋祭が執り行われた。

社伝によれば、神武天皇御東征の砌、国土の平定と安泰を願い、生島大神・足島大神を鎮斎したことに始まるという。当初の鎮座地は難波之碕(石山碕)すなわち現在の大阪城の辺りであった。

文献上における初見は『日本書紀』の孝徳天皇即位前記で、天皇が仏法を尊んで神道を軽んじた例として、生國魂社の木を切ったことが上げられている。大化元年(645)孝徳天皇は難波宮に遷っていることから、宮殿の造営のために生國魂神社の神木を用いたのではないかとされる。

貞観元年(859)従四位下に叙される。同年9月、住吉大社・大依羅神社などとともに風雨の祈願があったが、ここでは「難波大社〔なにわのおおやしろ〕」と記されている。難波大社の名は、延喜式臨時祭祈雨神祭条にも見える。延喜式で「大社」とあるのは出雲の杵築大社(出雲大社)・近江の小槻大社と当社のみとされる。延喜式神名帳には難波坐生國咲國魂神社〔なにわにいますいくくにさくくにたまのかみのやしろ〕二座とあり、祈年・月次・相嘗・新嘗の奉幣に預かった。

明応5年(1496)本願寺第8世の蓮如が当地に石山本願寺を創建した。その後、本願寺と織田信長の間で10年にわたって続けられた石山合戦のために、隣接していた生國魂神社も焼失してしまった。天正11年(1583)豊臣秀吉は石山本願寺の跡に大坂城の築城を始めるが、その際、当社の境内が城内に入るため、社領を寄進して現社地に遷座した。

慶長6年(1601)豊臣秀頼は社領300石を寄進し、同11年(1606)片桐且元に社殿を造営させた。さらに元和2年(1616)大坂夏の陣のために焼失したが、徳川秀忠によって再建され、豊臣氏の先例にならって朱印領300石を寄進した。明治4年(1871)官幣大社に列格。

当社の本殿は「生国魂造」と称し、本殿・幣殿を一つの流造の屋根で葺きおろし、その正面に千鳥破風、すがり唐破風、さらに千鳥破風を重ねるという豪壮華麗な造りである。昭和20年(1945)米軍の空襲によって焼失し、同24年(1949)再建されるが翌25年(1950)のジェーン台風のために倒壊。現在の本殿は同31年(1956)鉄筋コンクリートで再建されたものである。

生國魂神社の御朱印

生国魂神社の御朱印(平成16年拝受)

中央の朱印は「難波大社生國魂神社」、墨書は「生國魂神社」。

生國魂神社の昔の御朱印

 大正10年代  昭和4年  昭和15年頃

左のものは年代不詳だが、大正13年発行の『神社山陵印譜』に上の印と同じ印があり、大正10年代のものと推測できる。上の印は「難波大社」、下は「官幣大社生國魂神社社務所之印」。
中央は昭和4年のもので「官幣大社生國魂神社」、周囲は鳳凰。
右は昭和15年頃のもので「官幣大社生國魂神社」、昭和17年発行の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。

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生國魂神社の概要

名称 生國魂神社
通称 難波坐生國咲國魂神社 難波大社 生玉神社 生玉社
御祭神 生島大神〔いくしまのおおかみ〕
足島大神〔たるしまのおおかみ〕
〈配祀〉
大物主大神〔おおものぬしのおおかみ〕
鎮座地 大阪市天王寺区生玉町13−9
創建年代 伝・神武天皇の御代
社格等 式内社 旧官幣大社 別表神社
延喜式 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗
例祭 9月9日
神事・行事 1月7日/若菜卯杖祭
1月13日/城方向八幡宮御弓神事
1月15日/左義長神事(とんど焼き)
2月3日/節分祭・祈祷木焼納祭
3月春分の日/浄瑠璃神社春祭
4月7日/御神楽祭
4月8日/復興記念祭
4月中巳日/鴫野神社春祭
4月11日/家造神社祭
5月5日/走馬神事
6月30日/道饗祭
7月7日/七夕焼納祭
7月11・12日/いくたま夏祭
8月11・12日/大坂薪能
9月第1土曜日/彦八まつり
9月秋分の日/浄瑠璃神社秋祭
10月15日/秋祭
10月中巳の日/鴫野神社秋祭
10月28日/献茶祭
11月8日/鞴神社祭・刀剣鍛錬神事
12月13日/結納飾焼納神事
12月25日/浄瑠璃神社弦納祭
巡拝等 神仏霊場48番
拝殿 本殿
拝殿 本殿
米澤彦八碑 住吉神社と天満宮
米澤彦八碑 住吉神社と天満宮
城方向八幡宮 鞴神社・家造祖神社・浄瑠璃神社
城方向八幡宮 鞴神社・家造祖神社・浄瑠璃神社
弁天池と精鎮社 鴫野神社
弁天池と精鎮社 鴫野神社

メモ
生国魂造の本殿は回廊で囲まれ、かろうじて豪壮な屋根が見える。源九郎稲荷の辺りからは本殿横の様子が見えるのだが、やはり造りとしては前方もしくは斜め前方から見るのがよいと思われる。
江戸時代には境内に芝居小屋や見世物小屋が並び、上方文化の中心になっていたという。その名残で、境内には井原西鶴の銅像や上方落語の祖とされる米澤彦八の碑、浄瑠璃神社などがある。
境内社の城方向〔きたむき〕八幡宮は、かつては表門前の蓮池に鎮座しており、大坂城の守護神として城の方向を向いていたことから城方向の名があるという。かつて、大坂城に登城する武将達は、当社に武運長久を祈願したという。
また同じく境内社の鴫野神社は、現在の大阪ビジネスパークの辺りに祀られていた弁天社で、鴫野の弁天さんと呼ばれていた。淀君が篤く信仰していたことから、淀姫を合祀して淀姫社となり、その後、生國魂神社境内に遷座した。女性の守護神として、心願成就・縁結びから悪縁切りまで霊験あらたかであるという。

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2011.06.29
更新:2015.11.14
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