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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

安仁神社
あにじんじゃ

安仁神社拝殿

安仁神社 (あにじんじゃ)
御祭神 五瀬命 〈配祀〉稲氷命 御毛沼命 〈合祀〉大山咋命 大己貴命
鎮座地 岡山市東区西大寺一宮895 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) (備前国二宮あるいは一宮とも) 旧国幣中社 別表神社
紹介サイト http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/2541/

安仁神社の御由緒

創建年代は不詳。境内からは銅鐸が出土しており、その創祀はかなり古いものと考えられる。

文献上では『続日本紀』承和8年(841)2月8日条に「備前国邑久郡安仁神預名神焉(備前国邑久郡の安仁神、名神に預かる)」とあるのが初見で、延喜の制では備前国唯一の名神大社に列する。

御祭神については、天照大神・秋篠安仁卿・安倍朝臣安人霊・地主神・阿田賀田須命・兄彦命・和邇氏・五十狭芹彦命・阿智使主など古来諸説あったが、現在では五瀬命を主祭神とし、稲氷命・御毛沼命を配祀するとしている。三柱はいずれも神武天皇の兄君である。

五瀬命は若御毛沼命(後の神武天皇)とともに大和へ東征する途中、当地に数年間滞在された。この時、稲作や機織りなどを大いに奨励されたという。その後、河内国孔舎衛坂)で受けた傷がもとで紀伊国竃山で薨去された。神武天皇が即位された後、当地に五瀬命を祀り、兄神社あるいは久方宮と称したという。

社地は宮城山(別名・鶴山)にあり、往古はその頂上にあったというが、備前藩主・池田家が祈願所として現在の地に遷座した。池田家の崇敬篤く、社殿の造営、社領の寄進が行われたという。明治4年(1871)国幣中社に列格。

安仁神社の御朱印

安仁神社の御朱印

中央の朱印は「安仁神社之印」、右上は「備前国」、左下は「宮城山」。

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安仁神社の概要

名称 安仁神社
旧称 兄神社 久方宮
御祭神 五瀬命〔いつせのみこと〕
〈配祀〉
稲氷命〔いなひのみこと〕
御毛沼命〔みけぬのみこと〕
〈合祀〉
大山咋命〔おおやまくいのみこと〕
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 岡山市東区西大寺一宮895
創建年代 不詳
社格等 式内社 (備前国二宮あるいは一宮とも) 旧国幣中社 別表神社
延喜式 備前國邑久郡 安仁神社 名神大
例祭 10月11日
神事・行事 2月11日/海中禊
4月29日/春季講社大祭
6月初旬/崇敬者大祭
9月第4日曜日/秋季講社大祭
文化財 〈県有形文化財〉袈裟襷文銅鐸
参道と鳥居 神門
鳥居と参道 神門
右補神社 稲荷神社と左補神社
右補神社 稲荷神社と左補神社
荒神社 御神水
荒神社 御神水
幣殿 本殿
幣殿 本殿

メモ
JR西大寺駅の南東約8kmの西大寺一宮に鎮座する。近くを通るバスもないようなので、公共交通機関を使っての参拝は厳しいと思われる。
安仁神社については備前国二宮あるいは一宮とする資料もある。Wikipediaには、もともと安仁神社が備前国一宮になるはずであったが、天慶の乱で藤原純友に味方したため、その地位を剥奪され、吉備津彦神社が一宮になったとある。しかし、安仁神社でいただいた由緒書等を見る限りにおいては一宮・二宮といったことには触れておらず、むしろ看板等では備前国総鎮守を称している。
なお、鎮座地の一宮の地名は古いものではないとのこと。元は大宮村藤井といったが、旧西大寺市に合併した際、すでに藤井の地名があったため、一宮に改めたという。なので地名を根拠に一宮とすることはできない。しかし、逆に一宮という地名を選んだというのは、地元にそういう伝承があったためとも考えられる。

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2012.09.29
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