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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

琴彈八幡宮
ことひきはちまんぐう

コトヒキ八幡宮・石之鳥居
石之鳥居(一の鳥居)

琴弾八幡宮 (ことひきはちまんぐう)
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
魂依姫命〔たまよりひめのみこと〕
旧称 琴弾宮 琴弾神社
鎮座地 香川県観音寺市八幡町一丁目1−1 (Mapion/googlemap
創建年代 大宝3年(703)
社格等 旧県社
由緒 社伝によれば、 大宝3年(703)西方の空が鳴動し、三昼夜にわたって天が黒雲に覆われた。一艘の船が浜辺に近づき、中から妙なる琴の音が聞こえた。不思議に思った日証上人が尋ねると、「我は八幡大菩薩なり」と答えた。上人が「迷乱の凡夫その言信じ難し」と証しを求めると、その夜のうちに海が竹林となり、砂浜が松林となった。驚いた上人が童男童女を集め、船を琴弾山上に引き上げて祀ったのが琴弾八幡宮の創祀という。同時に神宮寺として現在の七宝山観音寺(四国69番札所)を建立したとされる。
後に弘法大師が留錫した際、八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀如来像を描いて安置し、四国第68番霊場に定めたと伝えられる。
以来、朝野の崇敬を受け、後陽成天皇は「八幡大菩薩」の宝号を賜った。源頼義は前九年の役に際して願文を納め、源義家は社殿を造営したと伝えられる。また元暦2年(1185)源義経は屋島の合戦で勝利した後、平家追討を祈願して、木の鳥居と名馬・望月を奉納した。現在、参道途中にある「木之鳥居」がそれであるという。さらに源頼朝は1千貫文の土地を寄進したという。
当社の伝承によれば、当社の45代別当・道尊は足利尊氏の庶長子・竹若丸であるという。竹若丸は、母方の伯父・密厳院別当覚遍とともに、元弘3年(1331)丹波の篠村八幡宮で倒幕の旗挙げをした父・尊氏のもとへ向かう途中、駿河の浮島ヶ原で長崎高泰らに殺害されたとされている。しかし、当社に伝えられているところでは、覚遍は密かに竹若丸を当社の別当・道仁のもとに送っており、浮島ヶ原で討たれたのは身代わりの雪王丸であったという。正平11年(1356)道尊(竹若丸)は尊氏と親子の対面を果たしたとされる。
明応2年(1493)土佐光信が当地を訪れ、『琴弾宮絵縁起』を描いた。これは現在、旧別当・観音寺の所有となっており、国の重要文化財に指定されている。
明治初年、神仏判然令により観音寺と分離、琴弾神社と称するようになった。また、四国68番霊場の本尊であった本地堂の阿弥陀如来像は観音寺の西金堂に遷され、琴弾山神恵院と称するようになった。四国八十八ヶ所のうち、68番と69番が同一境内に同居しているのは、このためである。〈四国八十八ヶ所へ
例祭 10月第3日曜日
※金曜日/頭家神事、土曜日/放生会、日曜日/七十五膳配膳
神事・行事等 1月10日/琴弾戎福徳祭
3月上旬/奉納絵馬所願成就祈願祭
4月1日/さくら祭・百手祭
7月30日/夏越祓・万灯祭
10月第1日曜日/祓川神事
巡拝 四国曼荼羅霊場(23番) さぬき七福神(布袋尊) さぬき十五社14番 四国霊場・旧68番札所
メモ 四国八十八ヶ所巡拝の途中に参拝。観音寺・神恵院は平成元年にも参拝しているし、琴弾公園の銭形は小学生の時に見ているのだが、琴弾八幡宮への参拝はこの時が初めて。
神門から社殿までは結構急な石段で、途中には境内社も多いのだが、ここに来るまでに予定より時間が超過していたため、文字通り、駆け足での参拝。
海岸の砂浜には巨大な寛永通宝の銭形がある。その全体像は琴弾山頂から見ることができる。
神幸殿 神門
神幸殿 神門
船霊大神 木の鳥居
船霊大神 木の鳥居
拝殿 本殿
拝殿 本殿
琴彈八幡宮御朱印 琴彈八幡宮・四国曼荼羅霊場納経印
四国曼荼羅霊場

左は神社としての通常の御朱印、右は四国曼荼羅霊場の御朱印。神社名でいただいた御朱印の墨書は「琴彈八幡宮」。中央上の朱印は雲に乗った琴に「丸に琴」の神紋、下は「琴彈八幡宮」、右上は「さぬき十五社第十四番」。

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2009.03.01
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