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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

白峰宮
しろみねぐう

白峰宮

白峰宮 (しろみねぐう)
御祭神 七十五代 崇徳天皇〔すとくてんのう〕
旧称・通称 崇徳天皇社野沢井宮 崇徳天皇明の宮
鎮座地 香川県坂出市西庄町1712 (Mapion/googlemap
創建年代 長寛2年(1164)
社格等 旧県社
由緒 保元の乱に敗れ、讃岐に流されて「讃岐院」とも呼ばれた崇徳院を祀る。「白峰」の名は、崇徳院の白峰御陵に因むものであろう(京都には明治天皇の勅によって崇徳天皇の御霊を迎えた白峯神宮がある)。
崇徳院は、保元元年(1156)讃岐に流された。初めは当社近くにあった雲井御所〔くもいごしょ〕に滞在し、その後、讃岐国庁の木丸殿〔このまるでん〕に移された。
長寛2年(1164)8月、崇徳院が崩御されると、残暑の季節であったため、葬儀について朝廷からの指示を待つ間、当社近くにある弥蘇場〔やそば〕(八十場)の泉に御尊体を安置した。この泉は野沢井とも称し、景行天皇の御代、南海の悪魚退治を命じられた讃留霊王〔さるれおう〕(日本武尊の子・武穀王〔たけかいこおう〕)が、八十八人の部下とともに悪魚の毒から蘇生したという伝説のある霊泉である。現在、弥蘇場の泉のそばには「崇徳天皇御殯斂〔ごひんれん〕御遺蹟」の碑が建てられている。
その後、朝廷からの指示により、御尊体は白峰山上で荼毘〔だび〕に付され、白峯寺に御陵が営まれたが、その間、当地の霊木に神光があった。そこで同年10月、二条天皇の宣旨により、崇徳院を祀る御廟が営まれ、金華山妙成就寺摩尼珠院が別当とされた。
それ以来、朝廷・武門の崇敬篤く、高倉天皇は讃岐国の稲税千束を寄進し、後土御門天皇は当社を勅願所とした。後嵯峨天皇は社殿を再建し、荘園を寄進している。
江戸時代までは妙成就寺摩尼珠院と一体となっており、四国霊場の79番札所であった。最古の四国遍路の案内書とされる真念法師の『四国辺路道指南』には「崇徳天皇」とある。また、妙成就寺は天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」と称されるようになった。
しかし、明治の神仏分離により、崇徳天皇社は白峰宮となり、妙成就寺は廃寺となった。そこで筆頭末寺の高照院が現在地に移転して金華山天皇寺を再興し、79番札所を引き継いだ。白峰宮と天皇寺高照院の境内がほぼ一体となっているのはそのためである。
境内にある御神木の楠は樹齢約500年で、香川県より保存木に指定されている。〈四国八十八ヶ所へ
例祭 10月第1日曜日(天皇祭り)
神事・行事等 1月成人の日/トンド焼
5月第1日曜日/春祭
9月21日/御霊祭(命日)
巡拝 さぬき十五社9番 四国霊場・旧79番札所
メモ 朱塗りの三輪鳥居をくぐると、参道の両側が四国79番霊場・天皇寺高照院の境内となっている。白峰宮の境内とほぼ一体のようになっているため、とまどうお遍路さんも多いようだ。
御朱印は平成19年の四国八十八ヶ所巡拝時、神社裏手の宮司さん宅でいただいた。しかし、夕刻であったためよい写真が撮れなかったため、後日、天皇寺の奥の院である金山の薬師に参拝した際、写真を撮るために参拝した。
鳥居(三輪鳥居) 御神木の楠
拝殿 本殿
拝殿 本殿
弥蘇場の霊泉(野沢井) 「崇徳天皇御殯斂御遺蹟」の碑
弥蘇場の霊泉(野沢井) 「崇徳天皇御殯斂御遺蹟」の碑
白峰宮御朱印

中央の墨書は「白峰宮」、右は「奉斎 崇徳天皇」。上の朱印は「白峰宮印」、下は「崇徳天皇社印」。

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2009.03.01
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