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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

白鳥神社
しろとりじんじゃ

白鳥神社拝殿

白鳥神社 (しろとりじんじゃ)
御祭神 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
両道入姫命〔ふたじいりひめのみこと〕
橘姫命〔たちばなひめのみこと〕
旧称 白鳥宮 白鳥大神宮 鶴内八幡宮 白鳥八幡
鎮座地 香川県東かがわ市松原69 (Mapion/googlemap
創建年代 成務天皇の御代(131〜190)
社格等 旧県社
由緒 日本武尊は東征の帰途、伊勢国能褒野において薨去された後、白鶴に化して西に飛び去り、大和国琴弾原(奈良県御所市)、河内国旧市邑(大阪府羽曳野市)、さらに讃岐国大内郡鶴内の里にとどまったという。『源平盛衰記』には「日本武尊終に崩じ給ふ、御年三十。白鶴と変じて西を指て飛去。讃岐国白鳥明神と顕れ給ふ」とある。
成務天皇(日本武尊の弟)は神櫛皇子(同じく日本武尊の弟で讃岐国造の祖)を武殻王(日本武尊の御子で讃岐綾君らの祖)に従わせて讃岐の国造に封じ、当地に神陵を営ませた。さらに仲哀天皇(日本武尊の御子)は神籬を建てて封戸を寄進、仁徳天皇の御代に祠が建てられたという。これを当社の淵源とする。
源義経が屋島の合戦に際し、白鳥神社に戦勝を祈願すると、天から白い羽が舞い降りるという奇瑞があり、兵力劣勢にもかかわらず大勝した。これにより武神として崇敬され、八幡神を祀るようになった。
天正年間(1573〜92)長宗我部勢による虎丸城攻めの兵火で焼失。慶長10年(1605)高松藩主・生駒一正の援助により、僧・増乗が再興して「鶴内八幡宮」と称した。また「白鳥八幡」ともいわれたという。
寛永19年(1642)高松藩主となった松平頼重は、大内郡の総鎮守である水主神社に対して白鳥神社を優遇した。
寛文4年(1664)京都吉田神社の祀官・卜部(猪熊)兼古を招いて神主とする。御祭神のうち八幡神を西山村(東かがわ市西山)の別宮八幡神社に遷し、改めて日本武尊を主祭神として「白鳥宮」と改めるとともに、社僧を排して唯一神道とし、別当の鶴内寺は廃された。さらに広大な松原と壮麗な社殿を持つ境内が整備され、社領200石を寄進した上、幕府に申請して朱印地とした。その後も歴代藩主により手厚く保護され、領民の信仰を集めて、西の金毘羅とならぶ繁栄を誇ったという。
神主・宮司は代々猪熊氏が勤め、江戸時代には朱印地の支配権を認められていた。境内東隣には猪熊家の邸宅が現存し、県の有形文化財に指定されている。
例祭 5月8日
10月4日
神事・行事等 1月15日に近い日曜日/太々神楽
5月4〜6日/春祭
5月5日/演武大会
7月31日/夏越祭
10月6〜8日/秋祭り(神輿渡御)
12月8日/お火焚祭(おみかんやき)
文化財 〈重文〉太刀
巡拝 四国曼荼羅霊場(7番) さぬき七福神(恵比須神) さぬき十五社(1番)
公式サイト http://www.shirotori-jinja.jp/
メモ JR讃岐白鳥駅から歩いて5分ほど。気さくな宮司さんで、まだ松の内の1月6日で参拝者が絶えない中、気軽に御朱印に応じてくださり、神社のことなどいろいろと説明してくださった。
四国曼荼羅霊場の第7番。特に弘法大師と関わる由緒があるわけではないが、東讃を代表する大社であり、江戸時代には多くの遍路が番外札所として参拝したようである。
大鳥居 恵比須神社
大鳥居 恵比須神社
一の門 注連柱
一の門 注連柱
三社 五社
三社 五社
本殿 白鳥の松原
本殿 白鳥の松原
白鳥神社の御朱印 白鳥神社の御朱印(四国曼荼羅霊場)
四国曼荼羅霊場

左は神社としての通常の御朱印、右は四国曼荼羅霊場の御朱印。神社としての御朱印は中央に「白鳥神社」の御朱印、右上に「さぬき十五社第一番」の印である。

白鳥神社(白鳥大神宮)の納経印(天保11年)
天保11年

天保11年の納経印。墨書部分は印判で、「御祈願所 讃岐国大内郡 白鳥大神宮 当番社家」とある。

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2014.08.03
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