古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 高知県

古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

高知八幡宮
こうちはちまんぐう

高知八幡宮

高知八幡宮 (こうちはちまんぐう)
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
多紀理比売命〔たぎりひめのみこと〕
市杵島比売命〔いちきしまひめのみこと〕
多岐都比売命〔たぎつひめのみこと〕
旧称・通称 八幡宮 御城内八幡宮 城内正八幡 山田町の八幡さま
鎮座地 高知県高知市はりまや町3-8-11(Mapion/googlemap
創建年代 暦応年間(1338〜41)
社格等 旧県社
由緒 社伝によれば、暦応(1338〜41)の頃、当地の領主で南朝の忠臣であった大高山松王丸が、大高山城(現在の高知城)の鎮守として山城国の石清水八幡宮を勧請奉斎したことを創祀とする。
慶長6年(1601)土佐の領主となった山内一豊は大高山に新たな居城を築くこととし、同8年(1603)に完成した。この時、本丸にあった当社を西の丸御門内杉の段に遷座、近江国長浜から勧請した宇佐八幡宮を合祀するとともに、城内・城下の鎮守と定め、藩主直祭の社とされた。
以来、御城内八幡宮または城内正八幡と称され、高知城下の郭中・下町の北部諸町及び下知村北部の氏神として広く武士・町民の崇敬を受けた(因みに南部は潮江天満宮の氏子であった)。
江ノ口村尾戸(現在の小津町)にあった別当・尾戸山龍福院(現・廃寺)には遙拝殿が設けられ、また毎年9月1日〜9日の祭礼には氏子の参拝のために高知城西門が開放された。藩政時代、当社の祭礼は「高知祭」と呼ばれ、きわめて盛大なものであったという。
明治3年(1870)尾戸より遙拝殿を山田町の現社地に移転。さらに翌4年(1871)本殿を高知城内より奉遷した。同5年(1872)郷社に列格。同11年(1878)社地を拡張して社殿を改築、同13年(1880)落成した。同19年(1876)県社に昇格。
昭和20年(1945)空襲のため社殿が焼失し、同28年(1953)現在の社殿が再建された。同42年(1967)高知八幡宮と改称した。
例祭 11月24日
(11月24日・25日/神幸祭)
神事・行事 1月10日/恵比須祭(初えびす)
2〜3月吉日/箸供養祭(お焚上、マグロ解体奉納)
3月15日/祈年祭(春祭、古式破魔矢神事)
7月28日/夏祭
公式サイト http://kouchihachimangu.web.fc2.com/
メモ 社殿は江ノ口川を背にして南面している。境内は藩政時代の井流修造役所の跡で、慶応元年(1865)江ノ口川を埋め立てたという。そのためか東西に細長い境内で、両端に入り口があり、鳥居が建つ。
御本社の御朱印のほか、境内社の釣船神社、市内薊野に鎮座する兼務社・掛川神社の御朱印もいただくことができる。釣船神社は境内の合同社殿内に祀られている。
ブログ記事 古今御朱印覚え書き:高知八幡宮
鳥居 神馬
鳥居 神馬
合同社殿 合同社殿内部
合同社殿 合同社殿内部
大山祇神社・恵比須神社 瑞霊殿(祖霊社)
大山祇神社・恵比須神社 瑞霊殿(祖霊社)
手水舎 本殿
手水舎 本殿
   釣船神社  

左が高知八幡宮の御朱印。中央の朱印は「高知八幡宮印」、下に向かい鳩。右に「高知城下鎮守」。
右は境内社・釣船神社の御朱印。

もどる


2016.01.23
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.