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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

山内神社
やまうちじんじゃ

山内神社拝殿
拝 殿

山内神社 (やまうちじんじゃ)
御祭神 山内一豊公 山内一豊公夫人 山内豊信公 山内豊範公 土佐藩歴代藩主
鎮座地 高知県高知市鷹匠町二丁目4−65 (Mapion/googlemap
社格等 旧別格官幣社 (単立神社)
公式サイト http://yamauchijinjya.net/

山内神社の御由緒

文化3年(1806)、土佐藩10代藩主・山内豊策が高知城内の野中兼山邸跡に藤並神社(藤並明神)を創建し、初代藩主の山内一豊とその夫人の見性院、2代藩主・忠義を祀った(旧県社)。

天保6年(1835)大明神に昇格し、翌7年(1836)これを祝って国を挙げての大祭が執り行われた。このとき、山内神社の現社地に藤並神社の御旅所が設けられた。

明治4年(1871)最後の藩主(16代)であった山内豊範が、藤並神社の御旅所に山内神社を創建、3代・忠豊から14代・豊惇までの歴代藩主を祀った。翌5年(1872)山内神社は高知県庁に引き渡されて、以後、高知県の管理するところとなり、それに際して村社に列格した。

昭和7年(1932)15代・豊信(容堂)、16代・豊範の明治維新における功績を顕彰するため、新たに神社を創建することとなった。山内神社に祀られていた歴代藩主を藤並神社に遷し、新しい社殿の造営にかかった。同9年(1934)4月に社殿が落成。豊信・豊範両公の遷座祭が執り行われ、別格官幣社に列した。

しかし同20年(1945)空襲のために山内神社・藤並神社ともに社殿が焼失。戦後は仮殿を設けて祭祀が続けられていたが、同45年(1970)山内神社の社殿を再建するとともに、藤並神社を合併し、山内一豊・同夫人・歴代藩主を合祀した。

山内神社の御朱印

山内神社の御朱印

中央上の朱印は神璽、下は「山内神社」。

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山内神社の概要

名称 山内神社
御祭神 山内一豊公〔やまうちかつとよこう〕
山内一豊公夫人〔やまうちかつとよこうふじん〕
山内豊信(容堂)公〔やまうちとよしげ(ようどう)こう〕
山内豊範公〔やまうちとよのりこう〕
土佐藩歴代藩主
鎮座地 高知県高知市鷹匠町二丁目4−65
創建年代 文化3年(1806)/藤並神社創建
明治4年(1871)/山内神社創建
昭和7年(1932)/別格官幣社山内神社創建
社格等 別格官幣社 (単立神社)
例祭 11月10日
神事・行事 2月11日/紀元祭
4月15日/春祭
6月30日/輪抜け祭・夏祭
東参道の鳥居 東神門
東参道の鳥居 東神門
東参道の手水鉢 西参道の手水鉢
東参道の手水鉢 西参道の手水鉢
山内容堂公像 本殿
山内容堂公像 本殿

メモ
鏡川沿いの細長い境内の中央に社殿があり、東西に参道が延びる。西参道の手水鉢は、天保7年(1836)の大祭に際して吾川郡秋山村から奉納されたものという。東参道の手水鉢は明治5年(1872)旧藩士によって奉納されたもので、山内神社の高知県移管・村社昇格を祝って奉納したのではないかという。
また、東参道の石灯籠は、文化4年(1807)土佐藩の家老たちが藤並神社に寄進したもので、藤並神社の合祀に際して遷されたもの。
社殿東側の脇殿は平成2年(1990)、高知城内に祀られていた熊野・春日・住吉の三社を遷したものである。

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2009.11.18
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